ベトナム生活2年を終え日本に帰国。タイトルも『ベトナム食日記』に 『ニッポン食日記』の文字を加え、異文化体験から磨かれた“文化のズレ” を掴み取る感性を使って日常で感じた事をつらつらと書いていきます。
2009年10月22日木曜日
サイゴン川ディナークルーズ
ニューヨークのハドソン川、パリのセーヌ川の夜景には負けますね。
でも、それなりに楽しめますよ。
先日、Indochina Junk Cruiseの新しい船がディナー・クルーズに
仲間入り、その船上祝賀パーティーに出席しました。
アジア風の木造船仕立ては、サイゴン川の雰囲気に良く似合います。
19時の出港に遅れないよう30分程前には桟橋の近くに到着しました。
丁度その時です、「ボー」と、汽笛が大きく鳴るのが聞こえました。
クルーズ気分が高まるなか受付に名前を告げると、係員は船に向って
駆け出しました。
すでに船は桟橋を離れていたのです。
「オーマイ ゴッド!」です。
運良く、船首にいたオーナーが私に気づき接岸を乗組員に指示。
とは言っても大きな船、バスのように簡単には行きません。
待つこと5分。何とか接岸しましたが乗船のためのブリッジは用意されず
船べりにしがみつき、乗組員の手を借りてよじ登るしかありませんでした。
急遽、誘った知人は運良くズボン姿だったので助かりました。
もしスカートだったらと考えるとーーーー。
ここでアドバイスです。
ベトナム旅行中、女性はズボンにスニカーをお勧めします。
*メコン川のツアーに参加しても、途中フェリーに乗り換えたり
運河を小舟に乗ったりしますが、残念ながら女性・高齢者には
優しい作りにはなっていません。
大股開いて跨いだり、凸凹道を歩かされたりーーー。
ドタバタで始まったディナークルーズもベトナム料理でお腹もふくれると
漸く、夜景が楽しめる気分になってきました。
写真に見えるのは、サイゴンのランドマーク的存在の
マジェスティク・ホテルです。
ベトナム戦争中は多くの特派員や戦争カメラマンが滞在し、世界に情報を
発信したのです。その中には「週刊朝日」に記事を書いていた開高健や
ピューリツアー賞を取った澤田教ーカメラマンもいました。
*第2次大戦中日本の統治時代「ホテル日本」となってたのですね。
ロービー右手のエレベーター脇にその当時の写真が飾ってあり
それで知りました。
番外編-1
フェリー乗り場を出てマジェスティック・ホテル方向に歩き始めた時
船の全景を撮ってないことに気づき、桟橋脇の公園から、パチリ。
そこはカップル席が置かれたデート・スポットだったのです。
この日は月曜日のためガラガラ。皆の迷惑にはなりませんでした。
こちらは公園等でのデートが盛んです。
多くは椅子の前に目隠し効果を狙って愛車(バイク)を置くのです。
椅子がなければ、二人でバイクに腰かけ抱き合う人達もいます。
*バランスを必要とする状態が、燃える心を抑えるのでしょうか?
ベトナムの若者文化を知るには必見シーンのひとつかも。
でも、瞬間芸でサアーと見て終わりにしないとダメですよ。
日本人旅行者”出歯亀”で逮捕では、お笑いにもなりませんからね。
番外編ー2
こちらに来て4-5回、30人ほどの観光業界関係のベトナム人で
編成された視察団に加わり、バスでメコン地区等の出張に出かけました。
毎回、渡される日程はベトナム語。(当然分かりません)
それも大雑把な行程のみが記載。(でも誰も気にしません)
ですので最初に私のすることは決まっています。
英語を話してくれる良き介添人を見つけるのです。
犬がシッポを振り可愛がってくれそうな人に寄り添う時の心理です。
さすがに「ワン」とは言いませんが。
そして、予定は未定というか、状況で時間等は
ドンドン変更されていきます。
(臨機応変に対応しているともいえますがーーー)
ですから、先々のことは聞かず、
「What is next?]のみです。
*それすら、複数の人に聞くと違う場合がありますが
今まで、一度もバスに乗り遅れた人もいないので
それがベトナム式旅行(または団体行動)なのでしょうか?
私は、マークしたご主人様(英語のできる人)の傍に何気なく
いるようにし、行動を供にするのです。
我家の愛犬(小太郎)も我々と散歩にでると、どの道を歩くか
いつ帰るかは分からず、ついて行くのみと思っているのでしょう。
視察団に加わった時の行動パターンは、
まるで小太郎のようなものです。
遅れず、ついて行くのみ。
どうせならヒモでもつけてくれたら、もっと気楽かも(笑)
2009年10月18日日曜日
メガネ
3ヶ所にメガネ屋さんがあるのです。
この周辺100メートル程の歩く範囲で10店舗程のメガネ屋さんが
あります。
アオザイ等の洋装店、薬屋さん、金物屋さん等々、
自転車で果物を売っているオバサン達も、群れをなしています。
さらに売っている商品をバイクの運転手に気がつかせるため
手書きの看板を出すのです。
*この種のオバサンからマンゴ・スチンを買って騙された
友人がいました。
本人曰く試食し「美味しかった」ので買ったと。
後で考えれば試食品は前の籠から、買った果物は後ろの荷台の箱からと
それぞれ別のところから出した気がするとのこと。
ベトナムは油断なりません!
話をメガネに戻します。
そんなメガネ屋さんに、ヒヤカシで飛び込み
検眼や値段交渉は紙に書いたり、ボディ・ラングエッジで何とかやり遂げました。
嬉しいのは待つこと15分程で出来上がり、さらに値段も安いことです。
How much?
26万ドン(約1300円)です。
日本で交換した時は7千円程請求された記憶があります。
*日本との物価差はモノによって異なりますが、5倍から10倍。
そこかして、上記は妥当な金額と判断しています。
そんなことで、度数が合わなくなり日本においていた
リーディング・グラスも今回の一時帰国で持ち帰り、
先週、レンズ交換を済ませてしまいました。
アオザイも良いですが、メガネを作るのも
自分へのお土産になるかもしれません。
ベトナム旅行の際は、是非お試しください。
2009年10月16日金曜日
手洗い励行運動!
これは何を意味している写真かというと「手を洗いましょう」と言う事です。
ところで、下の写真はVietnam News(10月16日)の記事です。
そこには2000人の生徒がハノイの競技場に集合し
「石鹸で手を洗った」と書いてあります。
なぜならその日10月15日は「世界石鹸手洗いデェー」なのだそうです。
(The World Hand Washing With Soap Day Oct.15th)
「誰が決めたの、そんな日しらないよ。本当?」
*この活動はユニレバー(Unilever)という企業の基金で
行われているようです。
確かに、この国は衛生管理の面ではズサンなところが多く
だから、その基本である”手洗い”の励行活動が記事になるのでしょう。
でも、これを読むことで自分の小学生の頃(50年以上前になりますね)
学校の手洗い場あった”手洗い励行”の張り紙が浮かんできました。
そして、”紙石鹸”の存在もにわかに出てきました。
あまり泡は立たなかったように思います。
支給されたものなのか、わざわざ買ったのかは記憶にありません。
その頃は我々も手を洗わなかったのでしょうね。
そういえば、定期的に虫下しを飲まされたことも思い出しました。
衛生管理の面からみると相当に遅れた状態だったのですね。
ベトナム生活をしていると、
思わぬことから昔の事を思い出させてくれます。
年を重ねてくると、それは懐かしく、また楽しい思い出になるのですね。
喜ぶべきか、老い先短い証拠なのかーーーー。
下の記事はCNN(10月18日)に掲載されていたもののコピー。
「世界手洗いの日」の関連記事です・
こぼれ話
「正しい手洗い」できる男性は少数? 「手洗いの日」調査
ロンドン(CNN) トイレで用を足した後にせっけんを使って正しく手を洗う人は、男性よりも女性の方が圧倒的に多いという調査結果を英国の研究チームが発表した。
この調査は15日の「世界手洗いの日」に合わせてロンドン大学衛生熱帯医学大学院が発表。25万人を対象に、トイレを利用後、せっけんで手を洗っているかどうかをセンサーを使って調べた。
その結果、せっけんで手を洗っていたのは女性の64%に対し、男性は32%のみだった。男女でこれほどの差がある理由は「われわれも首をひねっており、説明できない」(研究に携わったバル・カーティス氏)という。
また、手の洗い方は人の目を気にする傾向が強いことも判明。男女とも、隣の人がせっけんで手を洗っていると、自分もせっけんを使う人が増える傾向が見られた。
手洗いの習慣は新型インフルエンザの流行で広まったものの、既に警戒心は薄れつつあるといい、カーティス氏は「以前ほど気にする人はいなくなった」と話している。
2009年10月15日木曜日
その後(1)、(2)
この写真は先日(10月13日)のブログで紹介したものです。
バイクが氾濫する道路での電話線の工事。
仰天シーンのひとつでした。
では何を工事してたのでしょうか?
その後の様子は、下の写真と見比べてください。
そうです、電話線が束ね直されていたのです。
街を歩いていると、歩道に垂れ下がる電線を見ることも度々です。
道路の上に掛かっている電線も、バケツをひっくり返したようなスコールで
重みも加わればーーー。考えただけでコワいですね。
あんな感じの対応で大丈夫なのでしょうか?
=その後(2)=
”巨大海老かき揚げ丼”完食の件は10月11日に紹介させてもらいましたが
15日に再度お声が掛かり、パステル・イン・サイゴン・ホテルを訪れました。
なんと、「パステル・イン・ギネス」に名前が載ったことへの
表彰状授与式だったのです。
とは言っても、身内(社長・支配人・シェフ)のみが出席した”式”でした。
でも、嬉しいものです。
表彰状の類は小学校以来かもしれません。
昨日、日本語教師をしている仲間が来たので
自慢げに披露させてもらいました。
「ウッフ、よく食べましたね」と
褒めているのか、呆れているのか真意は計りかねました。
2009年10月13日火曜日
仰天映像。なんの工事!
そして、その先の交差点では
ハシゴは竹製。よく見ると真中でつなぎ合わせて長くしています。
それを、二人が支えながら少しづつ移動していくのです。
その微妙な瞬間、上の作業員も電話線に体重を乗せ
アンウンの呼吸で移動するのです。
*以前(6月21日)にビルのペンキ塗りを動画で紹介しましたが
軽業師的バランス感覚がベトナム人にはあるのでしょうか。
日本ならNTTの下請け業者がリフト付作業専用車で登場。
近くには数名のガードマンが交通整理を始めるでしょう。
サイゴンの街は”驚嘆シーン”の連続なのです。
目が離せません。
2009年10月11日日曜日
巨大海老かき揚げ丼。
巨大な”海老かき揚げ丼”です。
*以前(4月27日付け)に、名古屋の味噌カツ丼でも紹介されたところです。
支配人によると相当数のお客様がギブアップ。
「相当数以外の人(完食者)とはどんな人?」と聞いたら
「そりゃ、工場関係で働く若いパワフルな人達ですよ」との事。
シニア層は皆無らしい。
彼曰く、シニアが完食すれば「ギネスものですよ!」。
ならば「8月、日本で受ける健康診断にクリアーすればーー」と
挑戦の意志表示。そして10月8日に、その機会が訪れたのです。
(わざわざお店に行ったので、実際は自分で機会を作ったのですが)
さて、どうですか,この”かき揚げ”の大きさ?
厚さは14センチ超はありますね。
*昔、銀座の老舗天麩羅屋「橋善」(今は残念ながら店を閉めてしまいました)
のも異常に厚かった記憶があります。
でも、厚くてもその体型(かき揚げ型かな?)には品があり、
さすが銀座、天ぷらも洒落ていると思ったものです。(笑)
一方、こちらは下町系。
体系もろに露出で、丼ぶりをはみ出していますね。
これはベトナム人女性と同じで、この遠慮なさがベトナム文化のひとつなのです。
こちらの女性は小さめのシャツを着て体型をもろに見せたがります。
そして余分な脂肪でふくらんだわき腹をまるで誇示するように披露するのです。
カサブランカの日本人シェフも、この文化の影響を受けたのでしょうか。
この食べ方について、触れたいと思います。
まず箸で適量を本体から切り剥がすように強引につまみだし、
お皿にのせるところから“かき揚げ”の解体作業が始まります。
それを繰り返して、ようやくご飯が見えてくるのです。
その頃には口の中は油でベトベト感がーー、
それをご飯でふきとるようにからめて飲みこみます。
その間、2名の立会人との会話も楽しみます。
油のせいか会話も滑らかに。
でも、話し過ぎると満腹感を感じはじめるので要注意。
同じペースでゆっくりと、
解体・飲み込み・会話の行為を繰り返すのです。
*2年以上前に名古屋・金沢を36時間で走る
さくら道ウルトラ・マラソンのサポート隊のボランティアを
した経験がここで活かされました。
このレースも長期戦。出だしにスピードを上げた人は完走
できないのです。ヒタヒタと同じペースでゆっくりとが原則。
挑戦してから完食まで40分近くかかりました。
2名の立会人(支配人含む)からは祝福され、
晴れて、カサブランカ・ギネスに名前が刻まれたのです。
*後日談
その支配人、病み上がりにもかかわらず
それから2日後に挑戦。見事完食!
歴代2位の年長完食者となりました。
おめでとうございます。
サイゴンで楽しんでいる『青春』のひとコマでした。
2009年10月9日金曜日
新聞によりますとーーー、
如何に頭に残ってないかということですよね。
「ローマは一日にして成らず」ですが、
「語学は永遠に習得成らず」ですね。
今日はそれらを少し披露したいと思います。
安全性が去年より向上したと言う内容でした。
裏返せば、食品系の衛生管理にこの国はまだ問題が多いということでしょう。
日本の”赤福事件”は、まだ可愛いものかもしれませんね。
次の記事は、子供の気管支系の病気が昨年の倍以上に増えたとなっていました。
*職場の隣の席のスタッフの子供も、咳が止まらず病院通いが続いています。
さらに問題なのは病院の収容能力を患者数が超えていることです。
入院してもベッドは不足。
ある病院は3人の子供でひとつのベッドを使用しているとなっていました。
溢れた患者さんは、病室の床や廊下に寝ているそうです。
次は感電事故の件です。
それは、この1ヶ月間に二人の子供が遊んでいて感電死したからです。
4月頃、雨季の早い時期に突風も伴うスコールがあり、それで出来た
水溜りに電線が垂れ下り、そこにバイクで突っ込みひっくり返って
感電し死亡したと書かれた記事を思い出しました。
そんな感じで3面記事を眺めると、世相が見えてきます。
では新聞の一面はどうかと言えば
共産党書記長・国家主席・首相等の動向が毎日出ています。
大半が、諸外国との友好関係の構築や、
彼ら偉い人達が国内各地を訪問し発展するベトナムの状況や
貧困層への訪問し、励ましている内容の記事が多いように感じます。
世相を知ることができ、楽しい時間です。
「どこで読んでいるの?」
「それは配属先のデスクですよ。」
「新聞読んでいる程、ヒマなの?」
「これも情報収集業務のひとつです。」
「それって死語になった窓際族と同じじゃない?」
「いつか、この情報は活きるのです!」
2009年10月8日木曜日
訪問先のカンゾーでーー、
場所はクジラを祀っているお寺の本堂です。
ビールやベトナム・ウオッカも並ぶ贅沢な朝食です。
我々に出されたものです。
*歓待されるのには訳があります。
今回の訪問目的にトイレを新しくし寄贈したことによるのです。
下の写真と比較してください。
一般の参拝客と食事の内容が大違いでしょう。
朝食はホテルで全員済ませていたので、食べれませんでした。
ちょっとだけ口に運びましたが、良い味付けでした。
この辺のスケジュール管理の”大雑把さ”がベトナム流なのですね。
日本なら、こんなに残したら大変に無礼をしたことになってしまいます。
こんな事にいちいち腹を立てていたら、やっていけません。
*上の男性の着ているのが、男性用のアオザイです。
初めて見ました。北部(ハノイ)の人はよく着るとの事。
お年寄りの女性も来ていますね。
この青紫と白の組み合わせは、アオザイの基本パターンですね。
この氷、大きすぎませんか?
こちらの飲み物は冷えていないのが多いので、ビールでもお茶でも
氷が融ければ次から次へとコップに入れてくれます。
これは大きすぎて、鼻に氷が触れて飲めませんでした。(大笑)
でも、そんなのお構いなしです。
何故なら、「邪魔なら床に放り投げたら良い」との発想があるからです。
庶民派レストランでは、ゴミの類は気にせず床に捨てる人が多いです。
注目!
ボクは瞬間”SHISEIDO(資生堂)” と読んでしまいました。
どうも”SEISNIDO”が正解のようです。
「楽しい国でしょう!」
今回の船旅、何度も”危険”な思いをしました。
船でお祭りを見にくる人が多すぎ、桟橋に接岸できません。
その為、いくつかの船に乗り移り上陸するのです。
この板も多くの人が渡れば折れてしまうかもしれませんよね。
コワいですね。
(この国では、危険に対する意識の違いを感じることがたびたびあります。)
甲板をよじ登りそして滑り下り、皆がお互い手を差し出し助け合い
良い思い出の船旅でした。
短時間でもある種の一体感が生まれるのですね。
でも思うのです。
この時、スコールだったらとーーー。
怪我せず、良かったです。
2009年10月7日水曜日
カンゾーの町を訪れました。
場所はカンゾー、ホーチミンから南東50キロで海に面した漁師街です。
*カンゾーはベトナム戦争のとき枯葉剤散布で砂漠化したところ。
今はマングローブがよみ返りユネスコの自然保護区に指定。
我々はホーチミンから5時間かけてサイゴン川を木造のクルーズ船で
ノンビリと下り、カンゾーに向かいました。
昼食後はいつもの昼寝を決め込んでいる人もいます。
事務所でも椅子を並べ寝る習慣がありますから、慣れているのでしょう。
また、トランプで遊んでいる人達が5-6組いました。
*実はベトナムは娯楽が少ないため、トランプはとても人気のある
遊びなのです。勿論、掛けている人もいますが。
4-50年前(我々の子供時代)も「7並べ」とか「ババ抜き」とかに
夢中になっていた時代がありましたね。
その感覚が、ここにはまだ残っているのです。
祭りのために特設された遊戯だと思います。
これなんかも、懐かしさを感じますよね。
カンゾーの住民(漁師)はクジラを崇拝し、中秋の祭りで感謝の気持ちを表すのです。
中秋の日の夜には海に浮かべた灯篭に、漁船を連ねて行きます。
これは漁で亡くなった祖先の慰霊です。
一方、その翌日は沖合に出て海の神のクジラを”お迎え”に行くのです。
( Whale welcome festival)
クジラ信仰は、漁師を海難事故から守り、
さらに大漁をもたらしてくれる言い伝えからきています。
*とても日本人はクジラを食べるとは言えませんでした。
対日感情の悪い国なら袋叩きにあっていたかもしれませんね。
まだ午前中ですが、この小型船はすでに酒盛りが始まっていました。
どこにも「酒が飲める!酒が飲める!」と元気になる輩がいるものですね。
また、中秋の祝いに施設に入っている貧しい子供たちへの
チャリティーが歌や踊りが盛り沢山の特設ステージで行われました。
これは、配属先が音頭をとり実現したのもの。
袋の中には本やお菓子(月餅)が一杯入っています。
*こちらは、お正月やクリスマス等の機会を見つけては
病院や施設にチャリティーとして訪問するのが盛んです。
若い青年達(共産党青年部)も、この日はお揃いの青いユニフォームを着て
手伝っていました。
慈善行為の意識は日本より強いような気がします。
下の動画はクジラが祀られているお寺の参道風景です。
この日は特別に賑やかだったようです。
暫し、ベトナムの田舎町の散策を楽しんでください。
人混みの多いところですのではスリに注意です!
「如何でしたか?」
*日帰りオプショナルツアー(バス利用)で、マングローブや
運河クルーズそして野生動物の観察などが楽しめます。
2009年10月2日金曜日
本屋さん
本屋さんにいるだけで"賢く"なるような気分になるのは、
私だけですかね?
だから、私は本屋で本を眺めているのが好きです。
そして、本屋で一度やってみたい事があります。
それは10冊程のまとめ買いです。
憧れなのです。
*買っても、半分以上は読まずに積み重ねぱなしになるでしょうね。
モッタイナイ。
前置きが長くなりました。
日本に戻って改めて感じたのは大量の新刊本が並んでいることでした。
とても出版不況とは思えません。
一方、ホーチミンでは本屋さんはなかなか見かけません。
知っている限り中心地区では大きな本屋さんは2軒ほどです。
(人口850万人なのにーーー)
そのせいか本を読んでいる人も見かけません。
そのかわり写真のような本屋さんが、路上で営業しています。
お客さんはバイクに乗っている人ですから、
彼らに気付かせるように、オーナーの赤シャツのオバサンが
工夫した結果なのでしょう、立て看板方式で販売です。
大半の本はファッション雑誌やスポーツ関係の趣味系です。
会社のスタッフは、本が少なく勉強や情報の収集には
不便をすると言っていました。
これが実態のようです。
本屋の少ないのは”お国の事情”も色々とーーーー、
勿論、社会主義国家であることも関係しているかもしれません。
現実はコピー王国で安く(一冊100円程度)コピーが
出来てしまうからだと思います。
下の写真が、そのコピー屋さんです。
大学の前には必ず数件はあり、皆が教科書の類を一冊丸ごと
コピーするのです。
これでは本は売れません。
100万冊販売突破なんて考えられません。
桁を下げて1万冊突破としても、あり得ないでしょうね。
2009年10月1日木曜日
ビル建設
私の住んでいるアパートの前に建設中のビルです。
この段階で6階までを建築中でした。
そして1ヶ月の一時帰国を終え、9月25日に撮影したのが下の写真です。
9階まで工事が進んでいました。
1ヶ月で3階増えたことになります。
建築の専門家ではないのですが、素人感覚ではとても早い突貫工事
のように感じます。
ホーチミンは地震も台風もなく耐震設備等の特殊な対策の必要がないため、
ただ建材を積み上げて行けばいいのかもしれません。
手抜き工事でない事を祈るばかりです。
*ODA絡みで作っていた橋が工事中に崩壊したことがありますからね。
先日、市内にインターコンチネンタル・ホテルが9月にオープンしました。
私が1年前に来た時、10階位まで工事が進んでいたようの思うのですが
完成した建物は30階近いものです。
目の前の歩道の補修工事はいつになっても終わりません。
半年は過ぎました。
一方、10階程度のビルなら1年も掛からずに出来てしまうのです。
このギャップがこの国らしくもかんじてしまうのですが。
でも、つい工事現場をみていると、住んでいる自分のアパートも
心配になってしまいますね。