2009年12月26日土曜日

ハノイPart-5 ハノイ残酷物語

ハノイから北に国道1号線を走り抜けると中国雲南省に着きます。
その距離150キロ。 中国は本当に近いのですね。

その1号線を走っていると色んな物を運んでいるを見かけます。

それもバイクで運ぶのです。

先ずはゲージに入ったニワトリ。


ニワトリを運ぶのはいとも簡単なこと。序の口でしょう。


下の写真はワンちゃんです。

でも何か表情にーーーー?

北部の人の好物に”犬鍋”があります。

これ以上は書けません、ーーーーーー。


助手席のガイドが「前を見て!」と興奮気味に声を発しました。



そのバイクを追い抜くと時に見えました。

生きている牛を運んでいるのです。


生きている証拠に、シッポを上下に振っていました。


この建物では豚の競り市が行われていました。

そのせいなのでしょう、豚を牛同様にバイクに乗せているのも見かけました。

観光以外でも楽しめる、”ベトナム”です。




2009年12月25日金曜日

ハノイ Part-4 ハロン湾

世界遺産のハロン湾へ行ってきました。
このような奇岩が海面に突き出ている光景は初めてだったので
暫し見とれてしまいました。

今回はデラックスな一泊クルーズで湾内の観光を楽しみました。
キャビンもダブルベッドが置かれシャワー・トイレ・洗面所付き。
勿論、エアコンもあります。

インテリアも洒落ているでしょう。
運営しているのはフランス系企業だそうです。



これはマッサージを受けるためのベッドです。
この景色の中でのマッサージは最高と思いきや
ーーーこの日は気温15度。
欧米人の肉厚体型でも寒く感じますよね。

クルーズの中にはいくつかのイベントが組み込まれて、
楽しんでもらうようになっています。

湾内にある岩(島)のひとつに大きな鍾乳洞があります。
確か“驚異の穴”というようなベトナム語で命名されていたと
ガイドが言っていたような気がします。
見学するだけで1時間位かかりました。


もう一つのアクティビティが水上村観光です。
フローティング・ハウスには漁師が住んでいます。

自家発電装置もあるようでテレビもありました。




さらにシェフの揚げ春巻きの料理教室もありました。
揚げたては美味しいです!

夕食はセットメニューです。

5時頃に部屋に電話があり、メインメニューはステーキか魚か希望を

聞かれます。ステーキと伝えると焼き方の好みも聞かれました。

この夜はクリスマスの5日前でした。

ディナータイムも終わる頃、何の前触れも無くクルーがサンタの格好で現れ

クリスマスキャロルを4曲歌い、そして静かに去って行きました。

彼らの"もてなし”に心が和み、ハロン湾の素晴らしさが一段と増しました。

Merry Chirstmas!


二日目の朝は太極拳から始まります。

幻想的な風景のなか、やすらぎを感じる音楽が静かにながれます。

これってPricelessの体感ですね。


暫し、ハロン湾クルーズのひと時をお楽しみください。



如何でしたか?

2009年12月24日木曜日

ハノイPart-3 お土産屋さん

ハノイからハロン湾へは車で2時間半程かかります。

世界遺産のハロン湾ですので道路もベトナムとしては
整備され、トイレ休憩を兼ねたお土産屋さんがあります。

  *トイレが綺麗なのは日本人旅行者(特に女性)
   には必須要素です。日本人は日本の高速道路
   のドライブインのトイレの綺麗さに慣れてしまって
   いますからね。



上のようなアオザイも6時間で仕立てるサービスがあるので、
日帰り観光客も帰りには受け取れるのです。


それらのお土産屋さんのいくつかは枯葉剤等で障害を持った人や、

その家族が働けるような施設にもなっています。


ベトナムの伝統工芸のひとつを紹介しましょう。

板に特種な糊をぬります。
そこに卵の殻を敷き、金槌で叩き伸ばしていくのです。
砕けた殻の間に糊がにじみ出て表面がなめらかになってきます。


それをキャンバスにみたて絵を描いて行くのです。



砕かれ叩かれた卵の殻の織りなす微妙な光のコントラストが
表面に現れ、独特なタッチの絵になってくるのです。



手の込んだ刺繍を製作している人達もいます。

根のいる仕事ですね。

2009年12月23日水曜日

ハノイPart-2 バチャン村


ハノイから車で30分ほどの郊外にある陶磁器で有名なバチャン村へ行きました。

益子や多治見等のお店に寄っても似た光景を見ますね。
日本の方がブランドを意識してか、”窯元”をアピールするところが多いですね。


この美女軍団は陶磁器を売っている店の店員です。

冬のハノイは寒く10度以下になることもあるのです(この日は12度位)
でも暖房設備はありません。
仕方なく、寒さを凌ぐために厚着になってしまうのです。。

そんな様子をみると余計に寒く感じてきます。



これがバチャン村の中心、陶器を売ってるお店が並んでいます。

写真はありませんが、ポルシェの4WDがお店の前に停まっていました。
聞いたら陶器屋さんの社長の車との事。
日本との物価差を反映すると車の価値は1億円位かもしれません。

社長さんは、超お金持ちなのです。



絵付けの職人さんです。巧みに筆を使い色付けをしていました。

聞けば、職人さんの給与は腕により1万から2万円程度。
単純労働で働く人は月に5-7千円。

そして社長は”ポルシェ”

This is Vietnam!


=結婚式の話題=

ベトナムに滞在していると結婚式風景によく遭遇します。
会場が少ないのか、結婚世代の若者が多いのか?
平日でも結婚式が行われています。


我々、団塊の世代と若いころの70年代前半と似ていますね。

これは11時ごろ写しました。
出席者が帰るところなので朝の9時には宴会は始まっていたかもしれません。

表情を見ると人のよさそうな顔を皆しているのですが、
服装が垢抜けなくて田舎センスです。
でもこの方が社会主義の匂いがして、あるイメージのベトナムと思えますね。

私が生活しているサイゴンの方が別世界なのでしょう。

2009年12月22日火曜日

ハノイPart-1 

サイゴンからハノイへ行くと、とても寒く感じます。
到着した日は16度、その翌日は14度でした。
温度差20度もあれば寒くも感じますよね。

*バイクに乗ってるカップルも身を寄せて寒さを凌いでいるのでしょう。
  このようにしっかり手を回して抱き合ってバイクに乗るのも
  恋人時代だけ。結婚すると男性の腰に手を当てるだけ、
  月日が過ぎれば、女性は手は後ろに回しシートを掴むのだそうです。
  こちらの人が言っていました。

この道路は1号線。150キロも走れば中国の雲南省に行きます。
びっくりしたのはフランスパンを売っているオバサンが100m間隔で
並んでいるのです。4000ドン(20円)程で買えるようです。


また、ところどころでお墓を見かけました。
こちらは土葬・火葬の両方があるようです。

土葬の場合は一度”仮埋葬”をして、3年後に土から掘り出し"骨洗い”をして
写真にあるようなお墓に本格的に埋葬するのだそうです。

”骨洗い”は死者の魂がある夜中にするのが習わし。
そして、その役は長男が担うのです。夜中とは怖いですね。

最近は代行業者に頼む人もいるようです。



真剣な表情の運転手でしょう。
なかなかスリリングな運転をしてくれました。


写真を良く見てください。
対向車が目前に来ても、追い抜くチャンスを狙ってセンターライン上を
運転しているのですから。

彼は厚手のコートを着ています。
そうなんです、暖房を効かせる習慣がないようで車の中は寒いです。
勿論、暖かくなって居眠り運転されるより、こちらが寒さをガマンした方が
安全のようなのでーーー。そのかわりトイレ休憩を2回程お願いしました。

ハノイの空港から市内へ向かうと、大きな工業団地がいくつもあります。
経済躍進するベトナムの象徴です。
写真はキャノン工場ですが、他にパナソニックもありました。

5日間のハノイ・ハロン湾の旅が始まりました。





2009年12月21日月曜日

クリスマス&ニューイヤー、ナイト・イルミネーション

12月10日午後の2時過ぎです。
サイゴン大教会前の通りでクリスマス&ニューイヤーの
ナイト・イルミネーションの準備をしていました。

球状の電飾を竿の先につけ作業員に渡しているところです。

良く見ると手前の一か所はまだ電飾が取りつけらていません。
そうしてなければ中の作業員は出られませんものね。(笑)


下の夜景は21日に同じ場所から撮影したものです。

  *実は上の写真を撮った時に、同じ場所からの夜景を
    撮ろうと決めていました。



見物客が湧きでてくるように、時間とともに増えてきました。
もう、人、人、人、人、ーーーーです。


ホテルやお店の前にも競うようにデコレーションが並びます。
そして、大人も子供もポーズをとって写すのです。

サンタの坊や、可愛いですね!


サイゴンの銀座通りとも言えるドンコイ通りやグエンフエ通りの
イルミネーションはテト(旧正月2月14日)まで続くのです。

   *ベトナム人は、テトの為に一年を働いている感じがします。
     出稼ぎの人達は大量のお土産を持って実家に帰るのです。
     ベトナム戦争でも”テト休戦”が結ばれたくらいですから。
     気合いの入れ方が違いますね。

     気合いが入りすぎて、テト前には物価も高くなってくるので
     困ったものです。


こんなアーチ状のネオンが輝けば日本なら歩行者天国と
なるのでしょうが、こちらの人は歩きたがりません。
何しろバイクで走り回るのです。

   *市の中心ではこれだけの量のバイクの駐車は不可能です。
    きっと市民はそれを知っているので、ひたすらバイクを走らせるのでしょうね。

    
動画でイルミネーションを楽しんでください。
2人、3人、4人乗りと凄いですよ!


2009年12月14日月曜日

必見。これぞベトナム若者パワー!!!

クリスマスのイルミネーション?

違いますね、今夜は。

12月14日、ラオスで開催中のSEA Games(南東アジア競技大会)の
サッカー試合でベトナムがシンガポールに4対1で勝ったのです。

夜の8時に試合が終ると同時に、若者がバイクにまたがり
国旗を振り、太鼓を鳴らし街の中心に向けて走り始めたのです。

国旗や鉢巻きを売る、若者も出てきました。
旗を振り大声を出しながらも、信号が赤に変わるとチャンと待つのです。
写ってはないですが、左手からこの通りを交差してバイクを走らせる
同様の若者達の通過を待っているんですね。

何と、お行儀の良い連中でしょうか!


この騒然とした迫力を一緒に分かち合いましょう。

必見です。動画ビデオを見てください。




 *集団バイク・パワーに身の危険を感じ、撮影をそこそこに中止です。


今は夜の11時です。
部屋にいてもバイクの騒音は、さらに大きくなっていくように感じます。

  *昨年はサッカーの南東アジア選手権でタイに勝ち優勝しました。
   その夜の騒ぎで4人がバイク事故で死んでいます。


17日に決勝があるようです。
もっと、もっと騒ぎが大きくなりますね。

私はその日ハノイにいるのですが。
ハノイの若者もサイゴン同様に遅くまでバイクで騒ぎまくるのでしょうか?

我々の青春時代、一部の若者はそのエネルギーを学生運動に
向けていた人もいるかもしれませんね。

ベトナムで生活していると若者のエネルギーを感じますね。
うらやましいです。

何しろベトナム国民の平均年齢26才ですから。(日本は43歳だったかな?)

2009年12月13日日曜日

路上は”何でも屋” Part-1

街を歩いていると路上に色んなものが展開しています。
そんな街角風景をシリーズで紹介していきます。


夕方5時過ぎです、路上居酒屋の厨房風景です。
日本でいえば「炉端焼き」でしょうが、ここでは「路端焼き」となるのでしょうね。
箱の上にはおつまみの材料の貝類や卵が並び、後ろで茹でたり焼いたり
していますね。ここは1区のオフィス街にも近いので新橋と思ってください。
写真はないのですが、路上に低いテーブルをならべ風呂場の椅子
(焼いているオジサンが座っていますね)に腰をおろし飲み、食べるのです。

この辺のものに挑戦してお腹に問題を起こさなければ、良いのですが
ちょっと勇気がいりますね。



さっきの厨房から1本奥に入った道端に置かれた氷です。
氷屋さんはここで大きなカタマリをのこぎりで切り,路上の居酒屋さんに
納品するようです。でも、どこにも水道が見当たらないのでーーー
このままの状態でお客様の口に入っていくわけですよね。

どうしても衛生面が心配になりますね。

   *日本もリヤカーで氷屋さんが売っていた時代がありましたよね。
    電気冷蔵庫の前は、氷を上に置いて冷やす方式の冷蔵庫でしたからね。

    ちょっと余談になりますが、
    電気で物が動く時代に変わる時は、製品の頭に電気がつくのが当たり前だったのですね。
    電気冷蔵庫・電気掃除機・電気洗濯機ーーー、
    今は付けないですが。

    最近新たに電気がつくものとして”電気自動車”がありますね。
   


ココナッツの実からココナッツを手際よくむいているのです。
こちらは色んな料理やお菓子の材料にココナッツを使います。

ちなみにスーパーで缶入料理用ココナッツ・クリームを買うと。
一缶9000ドン(45円)です。

でも、この作業をなんで路上でやるのでしょうかね?


ジュース・スタンドです。

サトウキビを何度も機械を通して絞っています。
そのエキスが青い管を通ってアルミの器に溜まるのです。

甘そうですね!



サイゴンの街はいたるところ工事中となっています。
気がつくと歩道に飯場が作られるのです。

それもブルーシートで覆っただけです。
さらに寝るのは電柱にひもを掛けハンモックを吊るすだけです。
バイクの騒音と排気ガスに負けずに寝れるのですから感心します。

 *ベトコンもハンモックは常備品の中に入っていました。
  彼らにとっては生活の一部なのでしょう。


次はどんなシーンが登場するか楽しみにしていてください。

2009年12月12日土曜日

What is this?

リビングには大きな絵がかけてあります。

その上に壁掛けのように黒いものが見えますね。
何でしょうか?

私の部屋は1階。
とは言っても英国式数え方で1階がグランド・フロアーとなり
メザニン(日本でいう中2階)にはレストランがあるので、実質は3階です。

前にはヴィラ風建物(ホーチミンにいる日本総領事公邸)があり、緑豊かな
環境となっています。そのせいか、ときどきヤモリが家の中を徘徊するのです。

1週間前程に「壁にへばりついているな」と思っていました。
その後も動く様子がありません。

その間、数人の友人が訪ねてきて皆が聞くのです
「あれは何?」、外人の友は「What is this?」と
まるで英会話レッスンのようにーーーー。

そこで、アップで撮ってみました。

怪獣映画に出てきそうな不気味な表情にみえませんか?

気持ち悪いですね!

しばらくインテリアの一部として、そっと置いておくことにします。

2009年12月11日金曜日

友、遠方より来る。 最終編(お金の価値?)

ベトナムに来て皆が戸惑うのは、お金の単位です。

並んでいる紙幣は下から1万ドン、2万ドン、5万ドン、10万ドンそして50万ドン。
今回サイゴンに訪れたの反応は二つに分かれました。

=食事=(女性の

 高級フエ料理のベトナム・レストランへ四人で行きました。
 食べ物は10品程度に飲物はビール10本に白ワイン2本
 
     : 「おいくらですか?」
   店員 :「ハイ、210万ドンです」
     :「マアー、お安いことーーー」

=買物=(男性の

 ベトナム風のスタンドカラーのシャツを探して洋服屋へ

    :「これ、いくら?」
  店員 :「25万ドンです」
  友  :「エッ!、そんなに高いの?」


=買物=(女性の

 ベトナム風の洒落たスカーフを探して高級洋品店へ

  友  :「これ、おいくら?」
  店員 :「150万ドンです」
    :「あら、お買い得!」


女性のは「お金持ちになった気分で買い物が出来て、最高!」

男性のは「全部が高く感じて、買えないよ!」


やはり、ショッピングを楽しめるのは女性なのですね。

  *1ベトナムドン(VND)は5円弱が今の相場です。
   ですから上から日本円に置き換えるとーーー、

     210万ドン=約1万円   (一人2500円)
      25万ドン=約1200円
     150万ドン=約7000円
   

2009年12月8日火曜日

友、遠方より来る Part3 (チョーライ病院)

11月22日、26日そして12月3日と続いてがサイゴンに訪れました。


サイゴンの空の玄関口はタンソン・ニャト国際空港です。
夜の10時過ぎはアメリカ方面からの飛行機も到着するピーク時となり
ターミナルの出口は出迎えの人で大混雑でした。
  *”ベッキョウ”と呼ばれる外国に移住したベトナム人が沢山のお土産を     
    持って家族・親戚のところに帰ってくるので出迎えの人も多くなり
    まるでラッシュアワーのような賑わいです。

そんな中にPart-3に登場するが到着したのです。

彼は日本では作務衣の愛用者。
ところが、その井出たちでベトナムの地に足を踏み入れたのです。
さらに首にはマフラー、頭には毛糸で編んだ小ぶりのスキー帽。

本人いわく「今朝、マイナス1度だったぞ、飛騨では。」

30度を超えるところで生活しているものにとって、その服装は想定外。
唖然として、シャッター・チャンスを逃してしまいました。(残念!)





そのは福祉関係の活動をしており、Part2で紹介したはオヤジが医者。
翌日は彼らの希望でベトナムで最大の総合病院、チョーライ病院を訪問。

作業療法士の知人がそこで活動しており、彼女の案内で病棟見学と
なりました。

話には聞いていましたが想像を超えるものでした。


    *1900年に設立。南ベトナム時代から日本が援助してきた病院です。
     今も、人も金も技術も日本を中心に援助に支えられ運営されているところです。


    *説明によれば1700のベッド数に患者が2500人。
      そうなんです、日本では考えれない状況です。
      本来なら写真で見せたいのですが、病室の前の廊下にもベットが並び
      傍には家族が付き添い介護するのです。

      また、待合室の前の廊下で寝ている患者さんも見受けられました。

      とてもシャッターを押す気持ちにはなれませんでした。
  

上の写真は建物に入り受付を通るとすぐにある休憩場所です。
夜になれば、家族は簡易式の蚊帳を張りここに寝泊まりする人も
多数いるのだそうです。


ベトナムの医療事情を見て考えさせられました。
悲惨な感じもしましたが、まだここに来れる人は恵まれた人なのかもしれません。



=Part2の友=

我が物顔で滞在していたオーストラリアからのも帰国する日が来ました。

忙しそうにパッキング。
靴下やズボンの置き方をみると
性格は几帳面なところもあるのかもしれませんね。


2週間以上に渡った3組の達の世話も無事に終わりました。

疲れたけど、やはり嬉しさの方が数倍も大きいですね。

学生時代からのは良いものです。

2009年12月1日火曜日

友、遠方より来る。Part2-2 ”床屋&ヘアーサロン”

サイゴンの街中にはまだ路上の床屋さんがありました。

ここから歩いて数分のところにはパーク・ハイアットやインターコンチネンタル
などの5星ホテルがあります。このギャップがサイゴンの魅力でもあるのですね。

カットが終わると、次は耳掃除のようです。
料金は15000ドン程度(75円位かな?)

店構えをした床屋さんもありました。
ここは30000ドン(150円位かな?)



このビルは最先端のヘアーサロンです。

こんな規模の大きいのは日本にはないでしょうね。
一階が受け付け、2・3・4階がカット・パーマ・シャンプー等のスペースになります。
各フロアにカットするところが40人分(三階で120人分)はあります。
さらにシャンプーする人もヘアードレッサーとペアーを組んでるようですから
スタッフだけで200人以上はいる感じがしました。


イケメン風の男性スタッフがいっぱいいました。
お客様の多くは女性ですからね。

男性陣はまだ路上床屋に行くのかもしれませんね。
 *写真にはないのですが超ミニスカートの女性がいる理髪店もあります。
  そこの看板にはMassageの文字があります。




受付をすませると、特性ガウンを着せられます。
 *多くのお客様(女性)が髪をそめるので、その毛染めで汚れると
  いけないからかと勝手に後で思ったのですがーーー?



シャンプー台も10人が一度に洗えるようになっています。



今回はシドニーから訪ねて来ているを連れてきたかったのです。
彼曰く「何十年も床屋でカットしたことがない」と言うものですから。

実はその必要もないような”ヘアースタイル”でもあるのですが。



入店したときから視線が彼の方に集まりました。
カットが始まると数人の研修生らしきスタッフも集まって来ました。


担当のヘアードレッサーはなかなかの腕と度胸がありました。

脇の部分のカットが終わると、頭部の上に櫛をもっていき撫で回してから、

  「上はどのくらいカットしますか?」と質問。
    *その瞬間、笑いをこらえる研修生もいました。

  「3センチほど」とは指で指図しました。
    も動じることのない立派な返事でした。

これが仕上がりです。

料金シャンプーをいれて50000ドン(250円)

どうですか、ベトナムにきたらヘアーサロンに足を運ぶの楽しいかもね。

  は入店の時に頭を指差し「ディスカウント!」
    と交渉したのですが相手にされませんでした。(笑い)