2011年6月30日木曜日

目白散歩

『目白』の地名から思い浮かぶのは、
閑静な住宅地、学習院、目白御殿(田中角栄さんのご自宅)
日本女子大等々---、良いところばかり。

      
 
しかしその目白駅を両側で支えている駅が池袋と高田馬場。 

      清楚な目白のお嬢様を、汗臭くあか抜けない若者が
    実らぬ恋と知りながらも“この熱い思いを”伝えたいーーー、
    てな昔の青春映画を想像するのは、私だけ?


先日、ひょんなことから学生時代の仲間6名が集合。
“地井散歩”の如く目白散策を楽しみました。
ガイド役は目白を自分の庭と思っている江古田の住人と
大泉学園に住む散策マニアの二人。

目白通りを一本奥に入れば、まさしく閑静な住宅街。
そこには洒落た佇まいのフランス料理やイタリア料理の
レストラン、そして高級ブティックもーーーー。
一見さんでは敷居が高く、ドアを開ける前に
先ずは『要確認財布中身』。

これが“目白の品格”なんでしょうか。


散策マニア曰く、「この地は、徳川家ゆかりの場所」。
確かに表札に『徳川』と書かれた家がありました。

        

今、その界隈は『Tokugawa Village』と表示され
一戸建ての高級分譲(賃貸?)の建物が50棟ほどありました。
各敷地が300坪以上。
 
徳川の表札のお宅は1000坪、いや2000坪ーーー?
背丈を超える塀で囲まれ庭を眺めることはできませんでした。


そのVillageには外人も多く住んでいました。表札でわかるのです。
そのためかゴミ箱や街路樹の表示も英語。

  桜の木には何故か英語のみで注意書き。
  If you will peal the skin、the tree will be dead.

これは英語が分かる人に向けてのもの。
日本人の子はそんな悪さはしないということなんでしょうかね。
             これ何だかわかりますか?
            一軒一軒の名札がついたゴミ箱です。




散策の最後は江古田の住人お勧めの駅近くの甘味処へ。

和菓子屋さん『志むら』で“甘さ”を堪能。

         


白玉クリームあんみつを頂きました。
黒蜜の濃い甘さが寒天や白玉で適度に和らげられ
絶妙の味になって舌の上に乗るのです。

お値段も900円。満足、満足!

        

同じもモノを銀座の鹿の子で食べたら
「倍はする」との甘味専門家の解説あり。

ちなみにこの店、皇族の方々もお見えになるようです。


東急沿線の二子玉川や多摩プラーザの新興高級住宅街も
いいですが、やはり江戸時代から続くところにはかないませんね。
文化や格式には“時の流れ”による熟成が必要。


我々団塊世代も、人生の熟成期。
と言って、熟成度を一気に上げたら枯れる怖れあり。

注意しましょう、同世代諸君!




=目白散策、参考資料=
ネットで調べた目白の由来。
書かれたのは徳川家の末裔の方でした。

目 白不動堂は真言宗新義派に属し、寺号を東豊111新長谷寺と称した。開基年代は明らかではないが、不動本尊は、弘法大師によって出羽湯殿山荒沢の滝に造ら れた二仏の-躯であると伝えられる。その不動堂は元和四年(1618)大和の長谷寺妙音院僧正によって中興されたが、中興十数年の寛永年中、徳川家三代将 軍家光が鷹狩の帰りに新長谷寺へ参詣、その時、城南の目黒不動堂に対して、これを「目白」と呼ぶべしとお沙汰があった。つまりそれまでの新長谷寺は、将軍 じきじきのお声がかりで目白不動と改称されたわけであるが、それは今から三百三十年ほど昔のことである。


2011年6月26日日曜日

電車のホーム風景

 朝の通勤時間帯のホームで目撃。
始発電車をお行儀よく並んで待っているのですが。

「あれ、何か変では?」
男性一人先頭にーーーーー。


 彼は気付いてないのですね。
朝の通勤時間帯,『女性専用車両』のある事を。

*後ろの女性は何故声をかけてあげないのでしょうか?



大阪出張の時、新大阪の駅でやってしまいました。
階段を駆け上がり飛び乗った電車が女性専用車。
梅田までの一駅、長く感じました(冷汗)




 なかなかの色彩センスのママとその子供。
イタリア人なら普通って感じもしますけど。
一緒にいる子はカラフル過ぎて性別判断出来ず。
ママのセンスは子にどのように受け継がれるのでしょう。



終電近いホームでパチリ。
リクルート・ルックの女性はベンチに崩れ落ちる寸前。
手にしている携帯も滑り落ちそう。でもかろうじて膝のところでストップ。
脇に置かれたバッグは「どうぞ」と言わんばかりに全開。

でも、誰も彼女のモノを盗もうとはしません。
ただ見ているだけ。私も含めて。
 *写真右上端の人が駅員ですので
  何とかしてくれるでしょうというのが周りの状況でした




ベトナムでこんな状態でいたら金目のモノは100%無くなるでしょうね。
話している携帯電話も、後ろから近寄り耳元から奪われてしまう事もあります。
信じ難かったのですが、事務所のアンさんがその被害にあっていました。、

ひったくりは日常茶飯事のサイゴンです。
旅行の際は”ご注意”ください!

 


  

 最近、男性雑誌のカタログから抜け出てきたような
ファッショナブルな服装の方々をお見かけします。

この男性、実は前からの方が素敵なのですが
パチリともできずーーー後ろ姿となりました。


ホームや電車のなかでの“人間観察”
飽きませんね。

2011年6月18日土曜日

病院通い

病院の待合室は,年寄りの社交の場。
なんて話を聞いて笑っていたのが一昔前。
今はもうその仲間に入れてもらえそうーーーー、イヤですね。

ボランティア活動を終え帰国して間もなく9カ月。
幸せなことにいくつか仕事の手伝いをさせてもらうことで
実社会との接点も維持、“ボケ”ることなく生活をしています。
そんな訳で、週に数日は仕事絡みで外出。

では「家にいる時は何をしているの?」と聞きたくなるでしょうが、
それが冒頭に触れた病院通いなのです。

最初に紹介する病院は皮膚科。




ここへは、水虫とイボの治療で帰国後からずーっとお世話に。

足の裏のイボ治療は月2回のペース通い
毎回液体チッソを患部に当てられ痛い思いをするのですが
今だ、イボが取れず。


水虫治療は治ったと思ったのですがーーー、
桜が散った頃から“復活の兆し”、否、“復活でした”。

この世に水虫が存在する限り、誰かの言葉ではありませんが
「皮膚科は永遠に不滅です」となりますね。



もう一つ通っている病院は整形外科です。


3月に教則本を買い求め、クラシックギター練習に励み始めたら
左手薬指が『バネ指』となってしまいました。(大笑)

手当が遅れたら指の腱の手術だったよと脅され
週1回手の平(薬指のつけ根)の注射に耐えています。
さらに週に2回はレーザー治療も受けています。

そのバネ指治療に思わぬ事態がーーー、敏感肌なんですね。
湿布薬にかぶれ、代わりにもらった軟膏でもかぶれ
おまけに注射後に貼る1センチ四方の絆創膏にもかぶれーー(苦笑い)

このかぶれ治療でまた皮膚科に通ったら
病院通いの“悪の連鎖”となってしまいますね。


午前中の整形外科の待合室はまさにお年寄りばかり。
世間から見れば『私』もその一人と見られているんでしょうね。

*先日も会話を聞いていて可笑しくなりました。
70歳過ぎの女性二人の会話。

「昔は文京区に住んでいたのよね。
田中角栄さんの家と鳩山のさんの家の間ーーー」

「どこ?」

「護国寺よ!」

都内の土地勘のある人なら分りますね。




そして最後に紹介するのが
生活習慣病の高血圧や血糖値治療のための内科。


春から夏までは内科はオフシーズンのようですが
冬場の風邪の流行るピークシーズンになると
待ち時間も1時間超となります。

待合室対策として本など持参するのですが
そこにいるお年寄りの皆さんは病院に来るには元気で声も大きく
隣の人に話しかけては身の上話をするのです。
こちらもついついその会話に耳がダンボになってしまうのです。

自分への戒めとして、
病院の待合室では『寡黙な自分』を演じようと思います。(笑)

2011年6月5日日曜日

サイゴン再訪の旅-7 路上宴会

時間は夜11時過ぎ。
歩道では宴会で大盛り上がり。



でもここはサイゴンの街のど真ん中。
目の前には、最高級ホテル『パーク・ハイアット』が構えています。
東京なら帝国ホテルの近くの日比谷界隈になるかもしれません。

宴会の主たちは日本食レストラン「赤太陽」のスタッフ。
お店が引けた後、店の前の路上にビールケースでテーブルを設営。
「モ・ハイ・バー、ヨッ!」(1・2・3乾杯!)の元気な掛け声が響きます。

スタッフの慰労なんでしょうかね。
鍋を囲んでの宴会はお客さん以上に豪華なメニューですね。

このような路上宴会は随所で見かけます。
でも困るのは、それが商売用の屋台のテーブルか
仲間内の宴会テーブルなのか判断しにくい事です。


=日本人友人のハノイ出張での体験。=

   仕事で遅くなりホテルの近くで食堂を探していると、路上で
   食べている人に身振り手振りで誘われ、そこで夕食をすませた。
   お金を払おうとすると「いらない」と拒否をされ、その時、それが
   路上での仲間同士の宴会だったと気がついたとの事。


ベトナム人は宴会好きで、とてもフレンドリーなんです。


今回の再訪の旅でマリーン・リゾートのムイネーを訪れた時に
類似体験をしました。

シーフードレストランでの夕食を済ませ、ゲストハウス近くの
ベトナム風コンビニ店の前を過ぎようとすると、
薄暗い蛍光灯の明かりの下で、ギターを抱えたオジサンを
囲むように4人が地べたに座り、談笑しているのです。

 ちょっと気になり足を止めると、汗でベットリした長髪を後ろに束ね
日焼けし脂ぎった顔の白人が、人懐っこい笑顔で「座れよ!」って感じで
地面を指さすのでした。

それから2時間-----、
ギターを弾いているベトナム人のオジサンとその弟、そしてお母さん。
長髪の白人(ドイツ人。自転車でインドシナを旅しているとの事)
ノルウエイ国籍のベトナム人オジサン(英語・ドイツ語が出来る)
オーストラリア生まれのベトナム人学生(初めてのベトナム旅行中)
そしてコンビニ店員の若者と私。
-----、 8人の即席宴会は続いたのです。

その間、ビール好きのドイツ人はまるで店員のように
自分のビールがなくなるたびにフットワーク軽く立ち上がり
「皆、お代わりは?」てな感じで飲み物を冷蔵ケースに
とりに行くのです。

話題はベトナム戦争の話から、何故ドイツを離れて旅しているのか
顔はベトナム人でもマインドはオーストラリア人の世界観ーーー
日本人から見たベトナム人の日常生活等々----。

これが旅先での出会いの楽しい事なんでしょうね。
沢木耕太郎「深夜特急」ネタに近い体験だったかも。

バックパッカーとしての旅。
満足、満足!


=ところで宴会費用は?=

やたら飲み物を進めるドイツ人。
ならば勝手に彼がご馳走するのかと思ったのですがーーー。
最後は自己申告的に店の若者に飲み物代を払ってお開き。
超経済的宴会で超友好的な雰囲気で終了。