2010年6月24日木曜日

夢の実現に向けてーー。

今年のテト(2月)、ダラットにいる友人を訪ねました。
その際、ひょんな話から『鶴瓶の家族に乾杯』の如くアポ無しで
ギター工房訪問となりました。

それが新たなギター人生の一歩になるとは
その時は気が付きませんでした。(大袈裟かな?)

   *この辺の部分は3月4日(タイトル:ギター)のブログにも
    書かれています。


サイゴンに戻り早々にギターを購入
日々の”練習で少しは弾けるようになりましたが、
工房で触れたギターとその音色は忘れ難く
まるで片思いの如く、思いはつのるのみでした。

それを我家に居候中の友人に話すと、
「ダラットへ行こう。オレは観光、オマエはギターを買いに!」

そして、2日後老年バックパッカー二人はバスで向かったのです。

   *前回は夜行バスで景色もみれず。そのため昼の移動を選択。
     車窓風景を楽しみながらの旅ーーーーと思いきや
     朝7時半にサイゴンを出発、到着は3時半過ぎ。
     8時間のバスの旅は正直長く辛く、また退屈なものでした。

     特に後半の峠越えは、ガタガタ・クネクネが1時間以上続き
     疲れ果てました。

   *サイゴン・ダラット間8時間の往復バス代22万ドン(約1000円)
    外人向けゲスト・ハウス宿泊代19万ドン(約900円)
      
    サイゴンから250キロ程の往復移動費と宿泊代
    合計で2千円、安いですよね




工房には5月に出来上がった一本のクラシック・ギターが
置かれていました。

聞けば、在庫はこれ1本のみとの事。
次の完成品は2ヶ月後になると聞かされました。

  ギター工房『THI & TUAN』は、兄弟二人が
  輸出向けのギターを製作しているのです。


私がそれに触れる前に、弾くポーズをしたら
お兄さんが一曲演奏をしてくれました。
 
   



    *兄弟共に演奏家としての腕もスゴイので す。
    前回のブログで は弟さんの演奏を紹介したので
    今回はお兄さんの演奏ぶ りを見てもらいました。


聴き惚れてしまいますね。


この音色の”ギター”を手にしたのですが、
お兄さんと同じように弾けるかは、別問題。

楽器も、ゴルフ同様に道具が良ければとついお金を掛けて
しまうのですが、それだけでは良い音色はでません。

やはり練習しかないようです。


そのためには指関節を柔軟にしなくてならず
ストレッチの方法を教わりました。

弦を押さえる左手は写真のようにして
中指と薬指の間が大きく拡がるようにーーー、




そして相方の右手は下記のように関節を伸ばし
甲に対して90度は最低でも曲がるようにならないと。


写真を見る限り、前途多難。
でも、ガンバリます!

先ずの目標は、クラシック奏法で一曲奏でられるように
なること。勿論、暗譜で。

その夢の実現に向けてーーーー、
練習・練習練習努力・努力努力です。


   





2010年6月22日火曜日

ベトナム式コンビニ事情

ファミリーマートがサイゴンに店舗を開いて
半年位が過ぎました。

でも、2号店、3号店と新規店舗開店のニュースは
耳に入ってきません。苦戦をしているのでしょうか。
それとも秘策を検討中なのでしょうか。

街中を歩いてみると皆さんも気が付くと思います。
路上には屋台カフェ、雑誌・雑貨・タバコ・飲み物販売スタンド
さらに伝統的な天秤棒を担いだ行商のオバサンと
”物売り”が溢れかえっています。


彼ら行商は神出鬼没!
 路上での商売は違法であり公安の取締りが時々あります。
  その掃討作戦開始の直前、一斉退去。どこかに消え去るのです。
  一説には客待ちしているバイクタクシーの運転手が通報するとの
  話しもありますが。勿論、公安がいなくなれば直ちに商売再開です。



ブンタオで見かけたのは、バイクの荷台に揚げ物用
の鍋が備え付けられた、モーバイル・キッチンです。
こんなものまであるのですね。


常にお客様のいるところに出向く訳ですから
利用者から見れば究極のコンビニ(便利屋)です。


一方、これを”シタタカ”と言うべきか”ナマケモノ”と言うべきか。
この辺がベトナムらしい感じがして私は好きですが-----,


自動販売機のコイン投入口の前に、飲み物売りのお兄さんは
自分の自転車を横付けにしているのです。
これではコインを投入する事はできません。

  *この国で自動販売機を見かける事は殆んどありません。
   当然、買っている姿は一度も見たことはないです。
   きっと、マシンを使って買うことには慣れていないと思います。

お兄さんは,魚釣りの心境でしょうね。
自転車を販売機に横付けする『仕掛け』を作り
後は”獲物”が来るのを待つだけなのですからね。

   

また、ベトナム人の知人はこうも言ってました。
 「路上に並ぶ物売り(行商人)は、バイクに乗る人にとって
 とても便利。だってバイクに乗ったまま買えるから」と。

これは、ベトナム式”ドライブスルー”にあたりますね。
サイゴンの路上全体がコンビニ・システムになっているのです。




昨晩、歩いて15分程のところにある
100円ショップのDAISOに初めて行って来ました。


店舗に入り驚きました。すべてが日本語表示の商品。
すなわち”日本ブランド”で販売しているのです。

 *Maid in Japanは品質が良いとの
  信じ込みがベトナム人の間ではありますから。
  でも、生産国の表示は大半がMaid in Chinaですけどね。(笑)

そして料金は一律35,000ドン(160円程)。
日本より高いのです。

これが巧みな戦略となるのでしょうかーーーー?

 
  

2010年6月17日木曜日

停電!

”停電”と言ったら、
台風、落雷、地震等の自然災害の時くらいですね、今の日本は。

でも、ベトナムは国の成長に電力供給量が追いつかず
計画停電をせざるを得ない状況なのです。

勿論、都市部の中心や工場地帯は電力供給優先地域です。
それでも停電があります。

  *私の事務所は自家発電装置があるようで
   5分ほどで通常は回復。恵まれています。



表にでると信号も機能していません。

  右側のレインコートの脇に信号機があります。
  でも、消えています。直ぐに気づきました?

  *この国の習慣等で疑問・興味を感じることは山ほどあります。
   でも、それらは何らか歴史的背景や社会事情で
   そうなっているんだろうと、考えるようにしています。

   しかし、目立たない控えめな信号の設置方法には
   今だ、納得できる答えが見つかりません。




注目はバイクに乗っている人の足元です。

  誰も足を地面につけていません!

どのバイクもスピードを落としながらも、交差点に突っ込み
ハンドル操作でバイクを交わし、そこを抜けだせる
運転技術を持っているのです。

これがバイク王国ベトナムならでは「アン・ウン」の呼吸の
交通マナーなのです。


見ている分には楽しいのですが、この交差点を停電の時
渡るのはどうすればいいのでしょうかね。

そこには横断する人と、バイク運転手の「アン・ウン」の呼吸が
あるのです。


その「アン・ウン」のタイミングがずれると
”ガッチャン”なるのでしょうね。

2010年6月14日月曜日

草食系(毛染め)

熟年共同生活を続ける仲間の一人は
10日間の滞在で2度ヘアーサロンに行きました。


前のブログにも触れましたが、彼は4月お遍路に出ました。
その際、丸坊主に。

そのスッキリ感が忘れられず、サイゴンに着いた翌日
一度目のヘアーサロン訪問。

しかし、加齢により頭髪は明らかに退化
短くしたところの一部に”白いものが”、と彼は言うのです。
  *この種の事は、本人が思うほど他人は気にしないもの。
   でも、少しでも若く見せたいというアガキにも似た願望は
   人一倍強いようです。



そして帰国日前日、2度目のヘアーサロン訪問。
目的は”毛染め”。


部屋に戻り開口一番、「どうです、若く見えます?」

「ウン。」 とは言ったものの、その変化は微妙。
本人のみが気が付く範囲。

  *そんなこともあろうかと、毛染め前(上段)、毛染め後(下段)
   の写真を撮っておきました。
   皆さんは,どう思いますか?

こんな体験、読者の皆さんもお持ちですよね。



さて、お金の話しとなりますが
毛染めにかかった費用は約20万ドン(千円程度)。
日本と比較すれば格段に安いのですが、
”20万ドン”の響きがやけに高く感じたようです。

どうも毛染め効果が期待の程でなかったこともあったようです。

  「黒すぎません?」
  「明るいところで見れば、茶系も入っているよ」
 
こんな優しげな会話、熟年男達がする会話ですかね。
こんな風だから、草食系と呼ばれるようになるのでしょう。

今までは、一部の若者男性に対する呼称と信じていました。
しかし、その範囲は確実に拡がっているようです。

団塊世代が介護施設にお世話になる頃
施設内の会話風景を想像すると”恐ろしく”なりますね。(笑)

口てい疫同様、”草食系”の感染拡大を断固防がなくては!


団塊世代諸氏、
日本の経済成長に貢献した企業戦士時代を思い出そう。

奮い立て!

  これって、単なるカラ元気?



2010年6月13日日曜日

友遠方より来るシリーズ(食事編)


自家製ラーメン?

このラーメン風の食べ物、私の工夫で作ったものです。

    スープは、
    4月に遊びに来たシドニー在住の友人2名が帰国前日
    我家で夕食を作ってくれました。
    その際、特製チャーシュウーの調理過程で出来た煮汁(スープ)を
    冷凍庫に入れておいてくれたのです。

    それをベースに”熟練のワザ”で味付けを。



    麺は
    日本から持参。ジーッと出番を待っていた『揖保の糸』
    ソーメンとしては抜群のコシがあります。
    これを食べたら、他のソーメンが”軟弱”に思えてしまうのですが。
    皆さんはどうですか?

    






自家製ミートソース・スパゲッティ、イタリアンの定番。
私の得意料理のひとつです。

  トマトを湯引きしオリーブオイルを入れて煮込み自家製トマトソース
  を作ります。それに市販のミートソースを絡めさらに秘密のスパイスで
  味付けするので
す。

でも、1-2品は食べる際にどうしても仲間として加えたくなるのです。
その常連がフランスパンとサラダ。
今回のドレッシングにはシドニーから届いたブルーチーズも加えました。

  *滞在中の友人は家で食べるなら日本食というタイプ。
   一方、私はイタリアン系が大好き。
   ですので、このメニューは彼が不在の時に昼食として作ったものです。





友も、時には活動してくれます。
食後の洗いは”責任”を持って担当してくれました。

友は、友なりに凝るところがあるようで”洗い”にもその片鱗がーーー、
見てください。

洗い物を積み上げたオブジェは、まるで現代アートでした。



2010年6月6日日曜日

友遠方より来るシリーズ(熟年女性編)

以前のブログでも紹介した高級ベトナム料理の店Mam Phamです。
今回は、学生時代からの友人4名とそこでの昼食を楽しみました。
女性3人寄ればーーーと言いますが、4名となるとどうなるのでしょう?

そこにポイントを絞って観察してみました。
そして気がついたのです。

会話の量と音量が、状況により倍以上になることが分りました。

  *3人で、1人が話し2人が聞くパターンなら問題なし。  
   4人でも、1人が話して3人が聞くパターンであればコレも問題なし。

   しかし1対1が2組できると一気にその音量は拡大。
   瞬時にパートナーの攻めが変わる、ダブルスの試合の如く
   ボレー(おしゃべり)の応酬が始まると、もう大変です。
   ボルテージは高まるのみです。

旅の3日目はメコンへの観光に出かけました。
ミニバスをチャーターして、いざ出発。

  *専用車で出かけたのが正解でした。
   もし乗り合いツアーでしたら、他のお客様から
   なんと言われるかーーーーー。

そうなんです。 最初はシングルス一試合でしたが、2試合となり、 ついには同じコートに4人登場。 ダブルス開始。ボレーの応酬ーーーーー、 そして、度重なるジュースで話は堂々巡り。


  



40年以上のお付き合いしている仲間同士の旅行。
それは、それは楽しくないはずはありませんからね。

前回のブログの男性陣に負けず劣らず、仲が良いです。

   元気度会話量は完敗。
    女性陣が白鵬なら男性陣は高見盛でしょうか。
    勝つわけないですよね。
    




さて、その4名はお揃いの洒落た帽子をベンタン市場で購入。
勿論、値段交渉の末ゲットしたもの。

   *20万ドンで交渉がスタート。
    ラストプライスは6万ドン(1個300円弱)






このツアーは、メコン支流の中洲にある観光村を訪れます。
その後は、ノン(ベトナム風笠)を被り、椰子やマングローブに囲まれた
運河を下るのです。

軽くて不安定な感じもするのですが実に機能的。
三角錐の形体が頭との接触を最小限に抑え
さらに、通気性を高めるのです。

この地の気候の中で工夫され生れて来たものなのでしょうね。


4人は買い物好き。
”SALE”の文字に弱いタイプですね、観察していると。

休憩で寄った果樹園の農家。
無料で出された果物。そのテーブルの真向かいには
幸か不幸か、バッグを並べたお土産屋さん

若い純情そうな女性店員が片言の日本語で
「ゼンブ ギュウカワ。ワタシ ツクリマシタ」。
その一言で、果物を飲み込み行動開始。

  その時も、気に入ったバッグ数個をお互い見せ合い
  ダブルスが始まりました。
  気がつけば6個ほどのバッグを購入。









市内の洋装店でも、ダブルスの試合が。

最初はスカーフを買う目的で立ち寄ったのですが
ボレーの応酬から、気がつけば採寸している人がいました。




4月、5月と女性軍団の訪問が続きました。
活動上の研究課題としてショッピング行動パターンを分析。
その結果はーーーーーー、

  先ずはショッピングのプロローグとして
  「欲しいけど、どうしようかな?」と迷います。
  
  次に一緒にいる仲間との「アーだ、コーだ」のボレーの応酬。
  ここで徐々にボルテージが上がって行くのです。

  そして「アーだ、コーだ」のテンションが最高潮になった時が
  「買う」の決断。

  そして、最も至福の時は部屋に戻って訪れるのです。

  部屋でお互い見せ合い、褒め合うのです。
  ミニ・ファッションショーです。

  時にその場が”後悔の場”になる事もあるようですがーーーー。
  万一後悔しても、不屈の精神で翌日も買物に挑むのです。
  それがこの世代の女性の強さなのです。
  

お疲れ様でした。

こちらも、お疲れ様でした。
でも、楽しさの方が数倍上回りました。 

サイゴン訪問、感謝です。 





2010年6月5日土曜日

友遠方より来るシリーズ.(熟年男性共同生活)

友は昨年から数えて4度目の訪越。
今回は35日間の長期滞在を予定しています。


度重なる訪問で”遠慮”が無くなったのか
シドニーからの長旅の疲れか、翌朝は何時になっても起きてきません。
本人曰く「3時間の時差、応えるんだよ」ですって。


さらに3日後、もう一人の友人が10日間程の滞在予定でサイゴンに。
熟年男性3名の共同生活が始まりました。

仕事場に行くのは私だけ。
残る二人は部屋でテレビを見てノンビリとくつろぐのです。



正座の御仁はサイゴンに来る前、大仕事を達成。
それは、四国八十八箇所のお遍路の旅を
38日間で歩きぬいたのです。
お疲れ様でした。

自分を見つめ直す事が出来たのでしょう。

そのせいか、もう一人の御仁とは”何かが違う”と思ってしまいます。



その友も、旅の直前まで資格取得で忙しく頑張っていました。

その疲れもあってか、ソファーに身を委ねると、
「グウー、グウー」と部屋にサウンドを響かせるのです。
そして、声をかければ「オレ、ネテタ?」です。



その生活態度は我家の犬(小太郎)に似ているので
”小太郎3号”と呼ぶことにしました。

  *妻曰く「小太郎2号」は既にいるとの事なので




同宿の友2名はシドニーで35年以上の付き合い。
お互いの事をブチブチ言いながらも、どこか気が合うのでしょう。

それは、荷物の散らかし具合を見ればわかりますね。

三人での共同生活。

無事に10日間終る事を願っています。


2010年6月4日金曜日

友遠方より来るシリーズ(家族編)


いつも感心してしまうのです。
カプチーノのホイップ・クリームに描かれた線。
どう描くのでしょうか?

ゴルフ仲間が、奥さんお嬢さんを同行しサイゴン訪問。
母娘二人でよく外国旅行をするようですので
今回のお父さんの役は、荷物持ちかもしれません。

お嬢さん(と言っても社会人1年生ですが)に
「サイゴン滞在中にしたいことは?」と希望を聞いたら
「フランスパンも食べたいし、雑貨もーーー」と言ったので
早速ベンタン市場へ向かい、先ずはその近くにある
フランス人経営のパン屋さんのカフェに寄りました。

  *50歳前後のフランス人夫婦がオーナー。
   キッシュやバッゲト・サンドそしてカプチーノをオーダー。
   出来上がりを待っている間にも、絶え間なくフランス人客が来店。
   店内に「ボンジュール!」の声が響くのです。
   まるで、パリにいる気分になってしまいます。


その後は、外人観光客にも人気のベンタン市場で買物。

”人気”の一つは安く買えること。
但し、料金交渉要。
何故なら、店員の言った料金の3割位で決着することもあるからです。
値段交渉も旅の楽しみと考えれば、楽しいところ。

勿論、随所にコピー商品が氾濫。
いい物に当たることもありますが、外れもーーーー。

この一家、サンダル屋さんの前で足が止まりました。
定員は”カモ”が来たと風呂場の椅子を直ぐに用意。
これこそ”腰をすえて”の値段交渉。

値段交渉も真剣にーー、しぶとくーーー、粘りに粘ってーー
目標の3分の一程度でゲット出来たようです。
特にお父さん、母娘に負けずに頑張りました。


日本で履いたら壊れたなんて事のないよう祈るのみです。



そして次は”お気に入り”の中央郵便局へご案内。


今まで連れて行った友人達の多くは
私ほど感動はしてないようですがーーー。

でも、これからもサイゴンを訪れる予定の友人諸君、
ここには必ず案内しますから,覚悟の程を。(笑)

そして必ず言うのは「絵葉書を木製のポストにーー」。
ですから、親・兄弟・友人・恋人、誰かの住所をメモしてきて下さい。

サイゴンの旅の思い出、親しき人と分かち合いましょう!






2010年6月2日水曜日

地下商店街

Vincon Centerがついに完成。


と言っても何だか訳が分らないと思います。

では、こう考えてもらえば多少は想像できるかもしれません。
銀座通りに初めての”地下街もあるショピングセンター”が出来たと。
それほど画期的な商業施設なのです。
オープニングは4月30日の南部解放記念日に合せていたのです。

そして、ベトナム式突貫作業でそれに間に合わせたのです。
  *ここに住んで感じたことは、各種イベントがある時
   日本的観点で見れば、タイム・マネージメントが不充分と
   思うのですが、最後には何とか形になる事です。



考えてみればオープニングの一ヶ月前ほどから前庭部分に木が植えられ
芝張りや花などを植え造園作業が始まりました。その頃、内装含め完成に
程遠いのは外目からも充分に判断できました。

そんな状況ですから窓越しにみえる事務所スペースの天井は
今だ配線作業中のようです。

しかし30日には店舗部分はそれなりに出来上がり
来場者で溢れていたと、新し物好きの友人から聞きました。

翌日の夜、前を通って驚いたのです
ビルのフロント部分に上下30メートルはある巨大スクリーンが登場。
映像が流れていた事です。

    凄い!

それから一週間後、初めてその施設に足を踏み入れました。
きっかけは、近くを歩いていてスコールにあい雨宿りのためでした。

中に入って驚いた事は、
  -、地下4階地上2階の巨大スペース。
  -、デパ地下並みの食料品・レストラン街。
  -、わんさかと並ぶ高級ブティックの店舗の数々。
  -、買物袋を持っている人を殆んど見なかったこと。

       凄い!

”内部見学”を終え外に。
建物の壁面のスクリーンに目をやると、真っ黒。

その後は何時見ても真っ黒。
一度も映像は見ていません。
勿論、内装工事は引き続き行われています。

このベトナム式やり方、改めてーーーー、

      凄い!

  *1年程前に営業開始したフエのホテル。
    3月に泊まった時もまだ”ソフト・オープン”となっていました。
    まだ、一部工事中の感じもありましたが。

   考えてみれば、日本でも
   「改装記念セール」とか「閉店セール」とか色落ちした看板を
   掲げて営業している靴屋や洋服屋を見かけますよね。

   日本も似たり寄ったりかな?


=番外編=

地下街の人気の高まりは地下フロアーを商業施設に
変える動きが出ていると、新聞に報道されていました。
その方が家賃収入が良いようです。

ところが、変更するためにはお役所の許可が必要。
相当数のビルの地下フロアーはバイクの駐車場。
それが商業施設になれば、今度は駐車場の問題が
出てきます。

何かと、ややっこしい問題があるものですね。

駐車場問題(特に車)は大都市の行政機関が
頭を痛めている大きな課題。

増え続ける車、一向に増えない駐車場スペース。
数年後はどうなるのでしょう、サイゴンの交通事情。

想像するのも恐ろしいですね。





   

2010年6月1日火曜日

結婚式のその後ーーー。

4月の末、ブログに書いたベトナム式結婚式のその後です。

新郎はベトナム人、そして新婦が日本人の国際結婚。
その新郎・新婦が新婚旅行から戻り、披露宴への出席のお礼を兼ねて
アルバム・DVD持参で我家に訪ねてきました。





DVDには花婿親族が供え物を携え、新婦家族の家に出向き
新婦を迎える伝統的な結婚式の様子が、まるでドキュメンタリー番組
のように編集されていました。

   *今回は、新婦の家族が滞在したホテルを新婦の家と想定して
    そこに出向きました。




一方、我々が出席した披露宴はバラエティー番組のような賑やかな構成。


  * ベトナム人は前にも触れていますが”大阪センス”に近い
     感覚があります。
     そのためでしょう、吉本センスのテロップが随所に流れてきます。
     それは、画面を見ながら新婦が通訳(翻訳?)してくれた分った事。



また、圧巻は記念アルバムです。

サイゴン大教会の前などで、度々新婚さんの写真撮影を目撃しますが
こんな形で纏め上げられるのですね。



こんな素敵な女性がベトナム人に奪われるとは。
世の日本人男性は、実にだらしない。

  喝!

と思ったのですが、新郎はなかなかの好青年。

また、話を聞けば長男として家族の期待を一身に受け
大変な苦労をして医者となり、親と一緒に家族を支えてきたとの事。
優しさの中に心の強さもあり、幸せにしてくれる人です。

 *日本人男性も彼に特訓を受ければ良いかも。



新婦は本当にデップ(美しい人)です。
アオザイ姿も似合っていますよね。

アルバムを見て感じたのですが、「松たか子」に似ていませんか?

新郎にその話しをしても、
「松たか子」が何者かを知らないので、チンプンカンプン。
愛想笑いをするだけ。

   『新妻 = 松たか子 = 超美人』
   と言う方程式は理解してもらえないようでした。