2010年9月29日水曜日

帰国

2010年9月24日6時55分、ハノイからの便は成田空港に着陸。
2年の任期を無事終えました。




同期隊員と一緒の帰国。
若い女性隊員は荷物の山、山、山。
と言っている私もギターケースが増えたりで、
2年もいるとそれなりに荷物も増えるのですね。




そしてリムジンバスで家路に。
日本の道路はベトナムのそれと比較すると本当にキレイ。

ブログも帰国準備や到着時の雑用で
ご無沙汰してしまいました。

帰国後も暫くは、ベトナム題材の書き残しや
日本再発見も含めて書く予定にしています。

お付き合いの程、よろしくお願いします。

2010年9月11日土曜日

送別会

「それでは20年度2次隊の送別会を始めます」と、
司会者Mさんのよく通る声がレストラン内に響きました。


2008年9月25日ベトナムに着任。
そして丸2年後となる今月24日に日本へ帰国。

アッと言う間の2年ーーーー、でした。

2年前に着任した時の歓迎会の開催場所を
送別会の会場にと幹事お願いしたのです。

マラソンで言えば、そこはスタート地点であり
ゴール地点にもなるからです。

こんな発想って、まだ”青春”していますかね?


  *ところでJICAのボランティアは
   JOCV(青年海外協力隊)とSV(シニア・ボランティア)があります。
   同期12名の内、その各1名がサイゴンに配属されました。
   
   2人の年齢差は35才。
   相棒のK君と一緒にいると、
   大半の他人は親子と思っていたようです。

   でも、本人達は兄弟感覚で行動を共にしていました。
   これって、私の勝手な思い込みかな?
   
   ともかく、K君にはこの期間をお付き合い頂き
   感謝です。   

   
   
その2年間を振り返るとーーー、

  活動面での苦労はなく、生活面の環境にも恵まれていました。
  そのせいでしょうか、いくつか問題視されていた数値も改善。
  まるで健康管理・体力回復(向上かな?)の為の
  2年間でもあったように感じてしまいます。

  また、多くの友人(数えると60名以上の人が)が
  日本やオーストラリアからサイゴンの地を訪ねて来てくれました。

  これも大いに感謝です。

楽しい思い出しか浮かばないというのは、能天気なのでしょうかね。



と、言いながらも宴の後を眺めると
この地で出会った仲間との別れを感じ、寂しさも湧いてきます。


そんな時は、普段思い浮かばないことが頭をよぎります。
きっと、寂しさが脳の眠っている記憶部分を起こすのでしょうね。

『会うは、別れの始めとはーー』
の歌詞が何故か浮かび口ずさむのでした。

家に戻りネットで、別れに関する歌詞を調べ始めると
こんな歌詞もあると書かれていました。

 『さよならは別れの言葉じゃなくて
 再び出会うまでの遠い約束ーーー』

これも”青春って”感じで、良いななんて思い、
次をクリックすると、さらにこんなモノが画面に登場。

  『会うは、別れの始めなり』と言われ別離の苦しさや
  辛さばかりを恐れていましたが、今はお浄土で
  再会できる事を楽しみに生きていく事にーー、

と、読んだところでネット検索終了。

このような”悟の境地”になるには、まだ早過ぎますよね。(笑)







    

2010年9月9日木曜日

建国記念日(9月2日)


1945年9月2日、ベトナム民主共和国樹立。
初代大統領にホ‐チミン就任。

ですのでこの日は国民の祝日。
市民劇場(フランス統治時代のオペラ座)も、ホーおじさん一色です。

=歴史のおさらいです=
65年前の8月、日本は終戦(敗戦)を迎えました。
そして、9月2日に降伏文書に署名
第二次世界大戦は終了。
ベトナムは元々フランス統治下でしたが、大東亜共栄圏構想の下
日本が1941年ころから進駐(占領)。

ですので日本の敗戦は、ホーおじさんにとって
新政府樹立は絶好の
タイミングだったのです。

しかし、その後もフランスとの間で独立戦争(1946-54年)が続き

それに勝利した後は、アメリカを後ろ盾にできた南ベトナム政府との 紛争。
それがベトナム戦争に拡大。

その南ベトナムを解放したのが1975年4月30日(この日も祝日)


 *日本が占領していたことが活字になることは
  他のアジアの国と比較すると少ない感じがします。

  訪ねて来た友人とマジェスティック・ホテルに行くと、必ず
  エレベーター脇にある当時のホテルの写真を見せます。
  ホテルの正面の看板には
『ホテル日本』と書かれています。






建国記念日を祝う昼食会が前日に事務所でありました。
食事前に会議室に集まり、先ずは挨拶。

  *ベトナム語ですので、当然何を話しているか分かりません。
   日本に占領されていたという話題なかったようで、ひと安心。
   何故なら、それに触れたら後ろの席にいる私の方を
   皆が振り向くはずですからね。




そして先ずは皆で歌い気分を盛り上げ、テーブルに向かうのです。
勿論”躍進するベトナム”ってな感じの歌でした。




会議室の脇の通路にテーブルが並びます。
見るからに祝賀行事と言う感じでしょう。


普段はバイクの駐車場になっている中庭が、調理場に変身。


ケータリングを担当しているのはちゃんとしたレストランのはずですが
オバサンの調理する格好を見ると、路上の屋台の人が集まって
きた感じもしてしまいますね。





「モッ・ハイ・バー、ヨッ!」 (1・2・3、乾杯!)
の掛け声が廊下に響き渡ります。





女性群、なんで最初に”ゆで卵”を食べているの?


「ゆで卵とは違う。何、これ?」
「これが、ホビロン」



アヒルの卵の半分孵化したものなのです。



ベトナムに滞在中、こちらの名物料理で食べてないのがふたつ。
それが”犬鍋”と”ホビロン”。

食べた人に聞くと、卵味(当たり前ですよね)でーーーと言いますが。
美味しいと言うよりも、滋養効果があるので皆が食べるんでしょうね。





2010年9月4日土曜日

友遠方より来るシリーズ(変身願望)



「アオザイを着て写真撮りたいの!」


滞在中、観たい、食べたい、やりたいの希望を聞いたら
最初に出てきたリクエストがこれでした。

 *確かにHISのツアーで申し込むと日程に
  ”アオザイを着て写真が撮れます”が組み込まれています。
  きっと女性は”1度は着てみたい”という気持ちがあるんでしょうね。

2日目の2時半に予約。
スタジオへ行くとそこには100着は悠に超すアオザイがありました。



友人は早速好みのアオザイ探し、そして仲間とーーーー


  「これどう、派手かしら?」
  「そうね、いいんじゃないーーー」

  「これは?」
  「スケスケ、水商売系みたいよ」

こんな会話を楽しめるのも料金の内かもしれませんね。




私は壁の写真を指差し、
「ベトナム風な派手めの化粧でお願いしいます」
と係の人に伝えCafeで待つことにしました。


壁の写真を眺めると、叶姉妹オンパレードていう感じでしょう。

こちらは、いざとなると恥も外聞もない位の厚化粧となります。
結婚式にも参加しましたが、あまりの化粧の濃さに花嫁さんが別人に見え
他人の式で食事をしている気分になりそうでしたからね。(笑)



2時間程してスタジオに戻るとまだ撮影中。
さらに待つこと30分。

変身美女2名登場!
超ド派手なアオザイを身にまとい、
3cmはあろうかと思う”つけまつげ”をひっつけ、
体型ピッたしのアオザイは、ピンで脇が止められていました。
  *2人は細身。太めの人ならピンは不要なんでしょうね。
   それともゴムでも使って引き伸ばすのでしょうかね



登場した本人たちの開口一番は、
「オカマ・バーみたいでしょう?」でした。

そんな言葉を発しながらも外でも写真を撮りたいと
言うのですから、女性心理は分からないですね。

表に出れば、路上駐車のVespaのハンドルに手を置き
恥じらいもなく、「ハイ、ポーズ!」
まだスタジオ撮影の余韻が残っているようでした

通りがかりの外人旅行者、まるでドッキリカメラに登場する人のよう。
オカマ化粧の国籍不明な2人を遠巻きに覗き込み、「何、この人達?」。
驚きで笑みも消え、避けるように脇を通り抜けて行きました。


では、スタジオ撮影の写真を公開します。

「エッ、よく見えない。」



それでは、アップで。



お二人、お疲れ様でした。


ところでこれからベトナムに訪れる人、どうですか、挑戦してみませんか?
一生の思い出になりますよ。


アオザイ写真撮影(ド派手化粧付)

   2着のアオザイを着て撮影。

   希望するショットを絵葉書代の写真(6枚)にしてくれるのです。
   勿論、メーキャップもしてくれます。
   料金は40ドル(所要時間1時間半程度)

   *彼らは洋服選び、厚化粧、写真選びに時間がとられ
    2時間半近くかかりました。

住所:49 Ton That Thiep St. Dist1
       サイゴン・センターの近く。
    


2010年9月3日金曜日

友遠方より来るシリーズ。(二人の友人)

二組の夫婦が帰国して5日後
またまた友人二名がタン・ソン・ニャット空港に降り立ちました。
春頃から来越の機会を探して、漸くの訪問。

二人を先ず案内したのはお気に入り観光スポット、フランス統治時代の
建造物、中央郵便局とその前に威風堂々と建つ大教会でした。


何十回も通った郵便局、
でも絵を描いてるオジサンは初めて見かけました。
「良い感じ―」と素直に思い、友人と眺めていると
後ろに立っていた別のオジサンが「10ドル、10ドル」と言うのです。

アマチュアの日曜画家かと思ったのがマチガイ。
そう、ここはベトナムなのですね。


この二人は外国生活経験があり、航空会社勤務で海外出張も度々。
とは言っても、プライベートな旅では緊張感も欠けてしまうようです。
フランス人デザイナーが経営する洋装店の前では、暫しの休憩。

遠慮もなく椅子に座りこむあたりが、外国慣れですかね。



先ずは、よく食べます。

骨までしゃぶりこそしないものの、グリルした魚の身をほぐし
野菜と一緒にライスペーパーで手巻きにするのです。

  *ワンポイント・アドバイス
   指先に水を濡らしライスペーパの縁を湿らし柔らかくします。
   中心部には具を置くので
自然と水分を含んできますので
   多く湿らせる必要はありません。



また、よく飲みます

『333』(ベトナム・ビールのバーバーバー)が到着時に
最初に口にしたアルコール。

次はアパート前のスーパーで買った高原都市ダラット産ワイン。
気がつけば白ワイン1本が空。

次なる挑戦はベトナム・ウオッカ(米から作ったベトナム焼酎)
ショット・グラスで一気に。

さらにグラスの縁に塩をのせ、ライムを絞り
ソルティー・ドッグもどき作りを楽しんでいました。
余裕ですね。

また、買い物もしてました。

ここはアオザイ等の仕立て屋さん『Tam Silk。』


ドアーに張り紙がしてありました。



実は『Khai Silk』と言う高級ブティックがドンコイ通りにあります。
そこは雑誌にも大々的に取り上げられ、有名なお店。

そこを意識しているのでしょうかね?????

『Khai Silk』はお値段も高いです。3倍位はするかも、もっとかな?

彼女たちはTam Silkは見るだけ。
勿論、買ったのはKhai Silk。




最初の日のお昼はブン・ボー・フエで有名なブン・ボー・フエ
 *店名と代表的メニューが同じ。
  日本で言えば”喜多方ラーメン”かな。

彼ら二人は勿論『333』を、そして下戸の私は
ソーダ・チャン(レモン・ソーダ)をオーダー。


置かれたコップを見てビックリ。
スプーンの位置おかしくないですか?

スプーンを取り出し、柄の部分を持つと
まるで氷をつまんでいるような冷たさが指先にーーーー。

これもベトナム。

まだ、まだサービス業スタッフのレベルアップには時間がかかりますね。

2010年9月2日木曜日

友遠方より来るシリーズ (2組の夫婦)



二組の夫婦が訪ねてくれました。

S夫妻とA夫妻、共に“ほのぼの夫婦”仲の良さが伝わってきます。
30数年前、彼らの結婚の時に関わった人が良かったのでしょうね。

実は、それが『私』なんですけど。
A夫妻の式にでは司会者、S夫妻の時は仲人だったのです。





到着日の翌日早々に買い物にーーー。
夫は従者の如く荷物持ちに専念、お伴をしていました。
 
S夫妻、日差しが強いのでご主人の為に帽子をベンタン市場で物色。
ここでの値段交渉、先ずは言い値の3分の1からスタートが常套手段。

楽しみながら値段交渉で黒の帽子をゲット。




次はドンコイ通りのベトナム雑貨のお店『Tombo』に。
ここはベンタン市場と違いフィックス・プライス。

 *実はこの方がゆっくり品定めが出来て良いのです。
  多くの旅行者が”バラマキ”ように購入されますよ。
  1ドル程度で良さそうなものが多種類ありますからね。

A夫人も真剣に品選び。


S夫はブランド好きなのか
やたらと有名なロゴのあるものに興味を示し、手を伸ばすのです。
値段は400円程度。そうですコピー物。

オリジナルでは存在しないモノも売られていますからね。
だからこの種の商品は楽しいんですよね。


S夫:「欲しいなーーー」
   哀願するように。

S妻:「やめときなさい!」
   有無を言わせぬ、強い態度。
   


3日目はメコン川を眺めにカイベーへ。
フェリーは重要な庶民の足(否、橋かな?)

  *A夫人は”おばんギャク”が得意だったのです。
   一緒に時を過ごすうち感化されていたんでしょうね
   気がつけば、我々も”オジン・オバン・ギャク”を連発していました。



そのフェリー乗り場でまた帽子屋さんがあったのです。
S夫はそこでまた帽子に興味を示したのです。

A夫は白色、S夫は黒色と
仲良くお揃いのデザインの帽子を被っています。

注目!
アルマーニのロゴが見えるでしょ。

これが購入を決めた一番の要素。
次いで値段。
これで2ドルですからね。






男性陣はお気に入りのものが手に入ったので満足、満足!



好奇心旺盛なA夫人も。
気がつけば、ベトナム人ご愛用の笠“ノン”をゲット。
まるで土地の人のように馴染んで被っていました。

また、着ている白のアオザイ風の洋服は前日に買ったもの。


買ったモノを旅先で身につけるのって
旅をより楽しくしますよね。

  *大昔のハワイ旅行。
   大半の人がアロハやムームーを買って着たのもですが
   帰国後日本で着た人はどの位いたのでしょうね?

白のアオザイ風の洋服、グッド・チョイス。
日本で着たら皆の注目を浴びますよね。