2010年5月27日木曜日

”ワシ”は凄いのだ!

”ワシをペットとして飼う事は、自負心を向上させる”
と言うような見出しなのでしょうかね。

  *ワシを飼う事はステータス・シンボルであり、飼い主に
   強い運を運んできてくれるとベトナムでは信じられています。
   その為、成功者(日本人とは桁違いのお金持がいるのです)
   は専門の飼育係を雇ってまで、ワシを飼うとの事。

しかし、そのワシは保護鳥となっており特別許可がなければ
飼えないので、それ故に密猟者も出没する訳です。

最近、事務所の近くの交差点で鳥、カメ、リス等を販売している
人を見かけました。写真を撮ろうとしたら怖い顔で「ノー!」。
その密猟者(又は密売人かな?)、今朝は猿をカゴに入れ
路上に並べていました。その隣のカゴにはワシらしき大きな鳥が
足を繋がれ、喘ぐようにくちばしを開き観念した表情で
ヘタリ込んでいました。

路面の照り返し、脇を通過するおびただしい数のバイク。
彼ら(ゲージ入れられている動物達)にとっては”苦痛極まりない”
状況でしょうね。

再度挑戦とは思いながらも、違法行為をする位の人達ですから
カメラを取り上げるのなんかは、朝飯前でしょうね。




=番外編”ゾウさんの話”=

ドンナイ省(ホーチミン市の隣の県)で野生のゾウの死体が
見つかったと新聞記事に出ていました。
いつも一緒に行動している7頭の家族のうちの一頭との事。
その家族の様子を撮影した写真は昨年のWWF(世界野生物基金)
コンテストで最優秀賞となった作品。

死亡原因は調査中のようですが、果樹園の果物(彼らにとって食料)
に散布した農薬が影響しているようにも書かれていました。
そんな毒性の強いものを使っているとしたらーーー。
「怖ー!」

2010年5月26日水曜日

お料理、色々ーーー。

先日サイゴンに住む日本人夫妻の友人から”夕涼み”と称して
夕食に招かれました。

ご主人と会うのは初めてなのですが、話題には度々登場。
そうすると初対面という印象がないまま、話が弾んでいくものなのですね。
 
凄く美味しそうでしょう。
私にとっては久し振りの家庭料理風の和食。
大好きなカンピョウ巻き(画面上)もありました。
  *以心伝心だったのでしょうか、感激です。

食は進み、会話も弾み楽しい時はアッと言う間に5時間は過ぎました。
海外生活の中で”日本人を堪能”できるひと時でした。







その翌日の昼食はボクの手作りです。

オムレツの中身は豚のひき肉とタマネギを炒めたもの。
ニンジンは自家製グラッセ。




手作り昼食の翌日は、事務所で出前のお弁当を頼みました。
味は香ばしく美味でしたが、鳥の姿がーーーー、

How much?

バナナもついて16000ドン(80円)



お料理も、人生も”色々’ですね。

2010年5月25日火曜日

パンツ!

恥ずかしげもなく男性用パンツ3枚も見せてーーーー。
ーーーー、実は恥を忍んで見せているのです。

皆さんは、パンツの耐用年数(又は月数)を考えたことはありますか?
60数年の人生で、私は一度も検討対象にしたことはありませんでした。


ところがサイゴンでのひとり暮らしでは、洗濯も自分でしなければ
なりません。(実際は洗濯機がしますが)




乾燥機から取り出し、洗いあがった状態を手触りで確認しながら
たたむのが週に2-3回あります。(割とマメに洗濯しているでしょう)

先日「このパンツは2年前の研修中からあったな」と急に思い始め
そこで耐用期間が気になったわけです。

愛用のパンツは天下の高品質ブランド”ユニクロ”です。
耐久テストではないですが100回以上洗濯しても
生地も薄くならず、ゴムも伸びていません。
スグレものです。

  *評論家の桜井よし子さんは、ユニクロ戦略がデフレを招く
   と批判していた記事を読んだことがありますが
   これだけの耐久力のある商品を提供しているところを
   批判するのはいかがなものでしょうか?
 
   彼女もユニクロ下着を着用すれば見方も変わるでしょうね。


サイゴンで売っているカルバン・クライン等の偽ブランドパンツ
100回洗ったらどうなるのでしょうかね?

ちなみに、ラコステの偽ポロシャツは30回以上は洗っていますが
問題はおきていません。










2010年5月20日木曜日

サッカー観戦

ドイツのプロサッカーチーム”フランクフルト”と
ベトナム・プロリーグ所属チームの親善試合を観戦。

この試合、ハノイへの遷都千年と南部解放35周年を記念しての
イベントと新聞では報じられていました。

サッカー人気は高く、国際試合でベトナムが勝てば、
若者はこの時とばかりクラクションを鳴らし国旗を掲げバイクで中心街を
走り回り大混乱となります。時には死者も出るのです。

勝った場合のそんな騒動も心配しながら、仲間と競技場に向かいました。

試合開始30分程前には会場に着くと、楯を持ったヘルメット姿の警官が
視界に入りました。嫌でも緊張が高まってきます。





ところが、スタジアムの席につき場内を見渡すと観客が少ないのです。
きっと試合開始までには、もっとーーーーー?

結局は、その空席が埋まる事もなく試合は開始。

在住ドイツ人の一団100名程が陣取った正面スタンド右手からの
彼らの応援の声だけがやけに場内に響き渡るのです。

  *流石、ワールドカップ優勝経験のある国のサポーターは
   応援もまとまっていました。
   その応援に刺激を受けてか、
   ベトナム人サポーターもドイツ人応援団のまねをして
   声援をおくり始めたのです。

   国際親善マッチというムードで場内も緊張感が試合同様
   かけていました。



試合が始まり、少しして気がついたのです。
「何か変だな?」

ドイツ選手の赤いユニホームに注目!


そうなんです、背番号がないのです。
観客席にいる我々はーーーーー、

   「観客を馬鹿にしてんじゃないの!」
   「ファウルした選手を審判はどう記録するの?」
   「金髪とか背が高いとか?」
   「ドイツ選手は皆がそうじゃん!」
   「どの選手をマークすれば良いか、指示が出せないよね」


試合は前半、1-0でベトナムが先行して終了。
後半はフランクフルトが少し”実力”を見せたようで3-1で勝ちました。


観戦後は、仲間10人で餃子が美味しい中華料理屋へ。
考えてみると、食事中にサッカーの話題は一言も出ませんでした。

それで試合のレベルがお分かり頂けると思います。






=番外編=

昨年、サイゴンで開催されたフットサル国際大会に日本代表が出場。
仕事を終えてから急いで応援に行きました。
場内では飲み物は売っていましたが、食べ物はなし。

しかし、近くで応援していた日本人学校の子供達はお弁当持参。
オニギリやトリのから揚げを、美味しげにパクついているのです。
それを見ていた我々のお腹は、「グー」。


そんな思いは2度としたくないと、バゲットサンドを作ったのです。

段取りとして、
 -、中身に入れるレタス・トマト・ペッパーサラミを切り、タッパに。
 -、フランスパンに切身をいれ、開き目にして皿に並べる。
 -、バターをぬり、マヨネーズを伸ばし3種類の具を置いていく。
 -、塩とコショウを一振りーーー。
 -、クッキングホイルに巻いて出来上がり。


堺正章流にーーー、
「バゲット・サンドの出来上がりでーす!」



これを事務所から戻り迎えの車が来るまでの間の作業。

所要時間は30分。

我ながら、自画自賛の段取りでの”作品”でした。



勿論、味は最高!
だって皆が空腹でしたからね。





2010年5月15日土曜日

ラコステ、本物・偽物?X?X?

私の部屋にはラコステのポロシャツが3枚あります。

真ん中のブルーは日本で誕生日にもらったもの。

グリーンとピンクはサイゴンで買い求めたもの。(円換算で500円程。)
想像通り、その2枚は立派なコピー商品なのです。

すでに洗濯も30回以上はしているでしょう。
でも縮むことも破けることもありません。




先日、ひょんな事から胸のワニのマークを比較。
「偽物はワニの向きが違う」とも言われていますがーーー。
 *ポーランドの友人も同じことを言っていたので
  世界共通の見極め方なのでしょうかね。




流石に向きは3枚とも同じ方向でした。

でもマークに注目!

何か変でしょうーーーーーーーー?
  



             右は上の歯が3本で下が4本。

             中は上の歯が2本で下が4本

             左は上の歯が1本で下が3本

さらに、しっぽの形とお腹の線そして目の位置とすべてが微妙に違うのです。
顔(頭かな?)の表情も笑っているか、怒っているのか、欠伸をしてるのか
三者三様です。

では、どれが本物なのでしょうか?

日本で購入したのは、値段はサイゴンの10倍以上で
ライセンス生産された物、すなわち本物です。(そう信じています)

しかし、着心地は偽物の方がしっくり来るのです。
ならば、この金額差をどう考えれば良いのでしょうか。

先週もRockportの靴を3000円程で購入。

まだ、まだ”有印良品”求めての買い物は続きそうです。

2010年5月12日水曜日

友遠方より来るシリーズ(バックパッカー)


旅のプロ中のプロがサイゴンを訪れました。
と言っても、添乗員が遊びに来たわけではありません。

”生涯バックパッカー"を宣言している友は、今年50歳。
普通に仕事をし休暇を利用して世界の国々に足跡を残し
その数100カ国になったと言っていました。

彼が旅を語るとき時、「いつ、どこで、何を」と
まるで図書館の棚に並んだ本のように
記憶がしっかりと整理されてることに、いつも驚ろかされます。



空港に到着し私のアパートに向かうタクシーの中でも、

 「サイゴンも1989年に訪れた時はーーー、
  ホテルがーーーで、XX病院でOOを見てーー、」

きっと、彼の頭の中には20年以上前のシーンが
走馬灯のように浮かび、それに今の街並みを
重ね合わせようと試みたようですがーーーー。

でもサイゴンの街の変貌はそれを容易くはさせてくれなかったようです。






彼はその優れた記憶力(失礼)で、旅先での出会いをテーマに
持ち前の表現能力で旅のエッセイ等も書いています。

今年(2010年)は、JTB交流文化賞も受賞しました

受賞作のタイトルは「北の果てに続く道」
   *アラスカ・ハイウエイ1300キロを小型のレンタカーでヨチヨチと北上。
    そこでのヒッチハイカーや長距離ドライバーの大男との遭遇を
    クールなタッチで書き上げたエッセイでした。




ボクも、沢木耕太郎が書いた『深夜特急』に憧れ
ベトナムの地で”俄かバックパッカー”を数度試みました。

しかし今回”プロ”と一緒に数日を過ごし、学んだのです。



彼は、エッセイに登場する主人公のように、寡黙でクールです。
そして、歩いて歩いてーーー、その地を五感で感じとるのです。

さらに、彼とボクの違いは”口数”でしょう。

  ボクは、感じた事をドンドン話してしまいます。
  この時点で感動も刻まれた記憶も体外に出て行ってしまうのかも。

  彼は、ポイントを一言二言。最小の表現でその場は済ませます。
  それ以外は暫く閉じ込め、熟成させるのかもしれません。

ひょっとして、その寡黙さが「旅の印象の保存」
すなわち記憶力に繫がっているのかもーーーー。




やはり男は”寡黙”であるべきなのでしょうか?

  お喋りな、高倉健、
  オシャベリな、スティーブ・マックイーン

想像してみてください。格好悪いですよね。

例えが古すぎますかね。(笑)




  ”寡黙への挑戦”


海の彼方の日本にいる仲間の声が聞こえて来そうです。

「そんな挑戦、止めとけ!」



仲間のアドバイスは、素直に従おうかなーーーー。








2010年5月11日火曜日

これがボクの日常生活ーーー。


前回のブログ(健忘症?,認知症?)の最後に触れている
私の対処策をお伝えしたいと思います。


本題に入る前に、年初の思いはーーー、
  
  2010年を迎えるにあたり『一年の計』を考えました。
  =自分一人で過ごす時間を増やし、読書をして教養を身につける。=

  その背景には、日々何となく気ぜわしく過ごしており
  自分を見つめる時間が少なかったとの反省によるものでした。



そこで、日常生活改善をーーーーーーー。
     
  2010年1月9日に一時帰国していた日本から戻ると
  早速、カレンダーに下記の項目を書き込むことにしたのです。

  目的は、自分の日常生活状況をマークで確認し
  ”如何に自分の時間を捻出するか”でした。


   Gマーク:アパートにあるスポーツにジムに通った時に付けます。
   Cマーク:アパートに来客・宿泊客があった場合に付けます。
   L/Dマーク:○〇は昼食・夕食を自炊した場合に黒く塗りつぶします。

   Gは健康管理のため最低週3回を課しました。
   Cが少なければ、必然的に一人部屋で過ごす事になります。
   L/Dの黒丸が多ければ外食も少なく、これも一人で過ごす時間の
   バロメータとなるはずでした。


そして、結果は下記の通りーーーーーー。
      
             G    C     L      D    備考
      1月   10日  5日  17日  13日   12日間不在
      2月    8   13   18   12      3日間不在
      3月   12   11   16   16      3日間不在
      4月   12   18   12   14      5日間不在
     合計   42日  47日  63日 55日  

  4ヶ月間でサイゴンの我家にいた日数は、合計97日間

    ジムに通った割合はーーーー43%
    来客者の割合は  ーーーー48%
    昼食の自炊率は  ----65%
    夕食の自炊率は  ----57% 
   
   ジムでのスポーツや来客は、ほぼ2日に一回。
    *これは来客のない日には、ジムへ行くことになります。
     また、4月は一人部屋で過ごした日は7日間のみ。

   昼食は週に5回弱、夕食は週に4回を
   自炊した事になってます。
    *自炊には来客者の”ご接待”も含まれています。

年初の計画は、あくまで計画。

実際は前年よりも来客が多くなりました。
それも残りの任期が少なくなることに反比例するように
増える傾向がにあるのです。

すでに、5月末から7月中旬までは来客予告で埋っています。
従って、一人の時間は多くする事は事実上不可能なのです。




これが、対処策ーーーーーー。

上記のような日常生活をベースに、自分で見つけた
健忘症・認知症の対処策とは、

『一人で過ごす時間は少なく、人と会う時間を多く。
 そして、会話を通して刺激を受けエネルギーを貰う。』

   年初の計画通り、教養を身につける為一人で過ごす時間を
   多くしていたら”考える”方に磨きがかかり、物忘れ症候群
   から一段階さらに症状が進んでいたかもしれません。


現状は、一人暮らしなのに家事含め何かと忙しく
さらに、これだけの人と会うには健康でなくてはいけません。

という事は、次の一言に尽きるのでしょうかね。

  『健康な肉体に健康な精神が宿る。
   それとも、健康な精神が健康な肉体を生む』


人間、暇な時間が多くなるのは良くないようです。
思考力・決断力・緊張感等々ーーー、全てが緩んできますからね。

”ノンビリ過ごす時間” を持ちたいと思うくらいの忙しさの按排が
むしろ良いのかもしれませんね。



これって、日本人的思考から生れる行動パターンでしょうか。



なんの参考にもならない、対処策でしたね。



と言う事で、これからも’物忘れ”との戦い(または共存かな?)は
続く事でしょう。


   
      

2010年5月9日日曜日

健忘症、それとも認知症?



これは出社し、引き出しを開けたところの写真です。

スタッフの皆が仕事を終え退社する時、引き出しの鍵をかけるので
それに習い私も帰宅時にロックをして帰るようにしています。

ところが、ところがーーーーーー、
朝出社し机の鍵を取り出し”開けよう”とすると”閉まる”

「アレ、何で?。誰かが開けたの?」

  *事務所に夜間出没するネズミ君と最下段の引き出しを
   共同使用していると書いたブログをご記憶の方もいると
   思いますが、いくらなんでもネズミ君が開けるハズはありませんし。

こんな日が数日続くと、自分の行動に自信が持てなくなってきます。

皆さんも、そんな経験あるでしょう。

  「アレ、薬飲んだかな?」
  「アレ、メガネどこに置いたっけ?」
 

このような場面の一般的行動パターンはブツブツ独り言を発し
自分の行動をレビューしようとするのです。
しかし、ほとんどのケースが思い出せないのです。

ここで性格により二つに分かれると思います。

 A)自分の行動パータンを再考・分析する努力をせず
  ”あっけらかーん”としているタイプ。

 B)何故そうなるのかを悩み、その防止策を施さないと
  落ち着かないタイプ。

特に後者のタイプで、人と接する機会も少なく一人暮らしでいる人は
注意しないと自分で症状を重くしかねません。

  「物忘れ」→「悩む」→「健忘症」→「認知症」



団塊世代の諸氏、皆さんはどんな対処方法を持っていますか?
良い方法をお持ちの方は、コメント欄に記入していただき
情報の共有をしましょう。

私の対処策は、次回のブログで紹介します。




2010年5月4日火曜日

南部解放記念日


4月30日南部解放記念日で祝日でした。

  *1975年4月30日午前9:30、北ベトナム軍が
   南ベトナム大統領府に戦車で乗り入れ、ベトナム戦争が
   終結したのです。


さらに今年はそれから35年の特別の年。
例年を超える規模での祭典となったようです。

早朝、統一会堂前での祝賀行事を見に行こうとしたのですが
周辺道路は封鎖、警備も厳重で会場周辺に近ずくことも出来ず。


見れたのは、その夜サイゴン川に上がった花火だけでした。

丁度、ゴールデンウィークを利用して訪ねてくれた従兄弟夫婦、
そして、カンボジアからの友人と夕食を終えレストランを出たときでした。

人ごみをかき分け,出来るだけサイゴン川の傍にーーー。

近くで見る花火は地響きを感じる爆発音とともに
迫力満点でした。



花火の上がっていた約20分間、
サイゴン川に面した通りは交通渋滞というより停止状態。



そして終わると同時に、無秩序に突っ込み道路に氾濫していた
バイクも動きはじめるのです。

特にそれを整理している警察官はいないようでした。

なにかイベントがあるとバイクで集まってくることが多いので
いつの間にか、散らばる方法も心得ているのでしょうかね。





話しは戻ります。

4月28日、職場で南部解放記念日を祝う昼食会がありました。

私が知ったのは食事開始の1時間ほど前です。

この種の社内行事は毎回直前に知る事が多いです。




完全ベトナム料理フルコース。
それぞれのテーブルで「モ・ハイ・バー・ヨッ!」と乾杯の掛け声が
飛び交います。午後の仕事は関係ない雰囲気で飲んでいる人もいました。
美味しい鍋も最後に出てきました。




そして翌日の29日。

この日も記念日を祝うためと、事務所のセクションの
人達が用意してくれたバインセオを皆で食べました。

香草・レタス等で”チジミ”のようなお好み焼き状のもの
巻き、ヌックマムのタレをつけて食べるのです。







食事の後には”超甘味のジュース”が出てきました。

ドラえもんでパックされています。
こちらでも人気キャラクターです。

でもこちらの人の発音は”Doreee-mon"という感じですね。





統一会堂内の駐車場。

ベトナム人はハンモックで寝るのが得意です。
また、それをつるす技術はぴか一。
どこでも場所を見つけ、つるすのです。

足しか見えませんが運転手が木と車の間に吊るして
寝ているのです。

ハンモックはベトコンにとっても戦場への必需品でした




35年後の今は、ノンビリ寝ていても誰にも襲われないですね。

でも、蚊に刺されるかも。

2010年5月3日月曜日

友遠方より来るシリーズ(結婚式編)

友人達はサイゴン滞在中、結婚式に出席する機会に恵まれました。

会場は,今サイゴンで最も華やかな結婚式場、”White Palace”

そこでは8組の宴がほぼ同時進行で開催されていました。
各会場400名程の参加者があるとして
3000人以上の出席者がこの場にいる計算になります。




出席する結婚式は国際結婚。
新婦が日本人、新郎がベトナム人です。

以前のブログにも書きましたが、こちらの結婚式の招待状には
出欠確認のハガキは入っていません。
返事は不要です。

さらに友人・知人(例え本人と面識なくとも)を同行しても
差し支えありません。但し、お祝いとして現金を招待状の袋にいれ
当日会場に用意されたご祝儀箱に入れれば良いのです。

そんな状況ですので、友人達も貴重な経験と喜んで出席した訳です。
オプショナル・ツアー”ベトナム流結婚式”と言う感じですかね。


会場に入ると、それぞれの式場の入り口には新郎新婦のツーショットが
目印として置かれていました。

しかし新婦のお化粧はベトナム式の付けまつげバッチリ。
どの写真の新婦も同じに見えます。
写真を眺めても彼女の面影は浮かんできません。判別不能。

幸いに写真の下部に彼女の名前を発見し、ひと安心。


6時開場、7時開演とほぼ予定通りに進行。
オープニング・セレモニーは華やかなダンスから始まりました。

では、その場面はビデオで一緒にお楽しみください。





凄いでしょう!

新宿コマ劇場の歌謡ショーを見ているようですね。

式が始まっても、日本のように色んな人が挨拶したりはしません。
新郎・新婦の親が一言挨拶をしただけで食事の始まり。
日本の結婚式になれていると、もの足りなさも感じます。


ところで、何故かビールにストローがついてきました。
こんなのは初めて見ました。

「何で?」と皆で暫し議論。

そして出た答は、
”女性客がビールを飲む時、口紅が落ちないようにするため”

皆さんなら、どう考えます?





食事中は生バンドの演奏が続き、その間に新郎新婦は
参加者テーブルを挨拶して回ります。

会場内の円卓は40卓程。
勿論、プロのカメラマンがその様子を撮影。
挨拶回りが終わる頃には、円卓の上にはフルーツが。

周りを見ると、空席も目立ち始めました。

そうなんです、お涙頂戴の両親への花束贈呈なんかありません。
また引き出物もありません。

ですから食べ終えた人から順に帰り始めるのです。
実にアッサリしたものです。

と同時にカラオケも始まり、収拾付かずの感じとなってきます。
そろそろ潮時と我々もーーーー。


記念に、新郎新婦と一緒にパチリ!



友人達にとっても、心に残る旅のひと時だったと思います。

お疲れ様でした。






古き良き仲間が訪ねてくれるのは,嬉しい限りです。



今月末にも2組が、そして6月、7月と訪問者が続きます。






2010年5月2日日曜日

友遠方より来るシリーズ(メコン編)

メコン観光の旅、カイベー・ヴィンロンに行ってきました。

私たちーーーー、
そう学生時代の仲間3名がサイゴンを訪ねてくれたので
ならば、メコンにも足を延ばそうという事になったのです。

  *日本人に人気の あるのはミトーを訪れる
   日帰りツアーです。

   でも、今回はバスツアーで定評のあるシンカフェ
   の日帰りツ アーで、水上マーケットや運河沿いの
   村の訪問を組み込んだ、カイベー・ヴィンロンの
   日帰りツアーに参加したのです。


サイゴンからバスで2時間半、南西に下ります。
そして小型船に乗り移り、メコン観光がはじまるのです。



運河は、そこの住民の道路にもなるわけです。
お店によっては運河側にも入口を設けています。


では一緒に小型船でのメコンの旅、
動画で体験しましょう。









訪問する村の家々では、ライスペーパーや蜂蜜等の名産品を
製法を見せながら、訪れたお客にそれらを販売するのです。

ですから“有料買い物ツアー“に参加とも言い変えれます。

でも、難しいことは言わず、
先ずは伝統的なものを見て楽しむことにしましょう。




ライスペーパーの製造工程をみせてくれます。

溶いた米粉を、下から蒸気をあてた布に薄く延します。
数秒で蒸しあがり白い液状のものが半透明になります。
それを竹で編んだすだれ状の乾し台に。

そして乾すのです。

乾期はライスペーパー作りにとってベストシーズン。






次はポップ・ライス製法。
 (浅草の雷おこしのようなお菓子に最終的には仕上がるのです)

  黒い川砂を大鍋で熱します。
  そこに脱穀前のお米を入れて炒るのです。
  ------、そして出来上がり。

  百聞は一見にしかず。 ビデオを眺めてください。







運河に沿って村には細い道があります。
村の家々はその道にそって並んでいるのです。


自転車に乗る白いアオザイ姿の娘さんたちは
授業を終えた高校生のようです。

清純そのもの。
デビュー当時の”吉永小百合”でしょうかね。

   *訳の分からない描写ですね。(笑)
    でも沢木耕太郎の手にかかると、この何気ない光景も
    巧みな表現で30ページ程は書いて、読者を魅了するのです。







メコンの村にはサイゴンのようなバイク騒音はありません。
のどかな村の風景は心を和ませてくれます。

サイゴン到着後、寝る間も惜しんで行動している仲間にとって
ハンモックでの時は、暫し安らぎの時でもあったようです。







到着後2日目
バイクを気にすることなく、デタム通りを横断できるようになりました。
オバサン・パワーにバイクが避けてくれているのかもしれませんが。

日焼け対策をしていたようですが、夕方には肩が赤くなっていました。
南国の日差しはやはり強いのですね。





幸いなことに多くの友人がサイゴンを訪ねてくれています。
この5月の連休も4組が訪ねてくれます。



ピープル・ウオッチングが趣味の私としては
案内する度に、その旅人達の買い物心理に関して発見があるのです。




今回の3人組は、足元グッズに興味が強かったようです。
座り込もしゃがみこみ、品定めです。





 


観光客が一度は訪れるベンタン市場。

ここでも、試着(試履と言うのかな?)。

   そして、値段交渉開始、

   「65万ドン、オネエサン、キレイ」から始まりました。
   「 ----」
   「 -----」

       *10分経過。

   「じゃ、いらない」
   「オネエサン、キレイネ。コレ、ラストプライス。25万ドン」

   と言う事で、買ってしまいました。


この値段交渉も品定めの時間も
全てが”旅の構成要素”

旅のプロデューサーとして
仲間3名、彼らの”旅の構成要素”のひとつにでも
貢献できたのなら、嬉しい限りです。