2009年8月18日火曜日

世界遺産の街 ホイアン。

1593年に建てられた来遠橋(日本橋)。
世界遺産に登録されたホイアンの街の象徴のひとつでもあります。

当時は朱印船交易でこの地に日本人が1000人以上
住んでいたといわれています。

"旧市街に足を踏み入れると、往時にタイムスリップしたようです"
と、書くとガイドブック的表現となってしまいますね。(笑)

でも古い建物を修復し、観光地として楽しめる佇まいとなっています。


  *飛騨高山の街の一画にある江戸時代の建物が並ぶ
   上三ノ町辺りとイメージが重なりました。

   そこに最初に訪れたのは40年前。
   古い町並みがそのままで民家と並んで造り酒屋・味噌屋
   米屋など代々受け継がれているお店がありました。

   今はその細い通りに面した民家すべてが、お土産屋に変身。
   ホイアン同様、テナントが入って商売をしているところも多いと思います



旧市街の中心、チャンフンダオ通りやバクダン通りには
お店やレストランが並んでいます。
  


 
街を歩いているだけでも旅行者気分にさせてくれます。
ついつい、お店の中をのぞきたくなりますね。

欧州系の旅行客が目立ちます。フランス語もよく耳にします。

同じ観光客でも彼らと日本人の動きは異なりますね。

彼らはカフェやレストランで会話を楽しんでいますが、
日本人旅行者はその間もガイドブックを開き、次なる訪問場所のチェック。
食べ終われば次なる行動にと、忙しそうです。

一番の理由は、彼らの旅行期間が長いことだと思いますが、
一分一秒を気にしない国民性の違いもあるのではと思います。




ところで、こちらにはマネキンが並んでいるお店が目立ちます。
短時間(半日又は一日)で仕立てくれるのです。

でも派手なデザインが目立ちます。このまま作ったら日本では着れないでしょうね。


お店の大半は女性向商品が並びます。
買い物の主役は世界的に”女性”であることは間違いないようです。

男性陣は一回歩けば充分かもしれません。
でも、奥さまやガールフレンド同伴の方は4-5回は覚悟してください。


食事もベトナム料理からイタリアン、日本食屋(お店の名前がサクラとなっていました)
さらにカフェバーと旅行者を退屈にはさせてくれません。

下の写真は、アイルランド人の家族連れが隣の席のインド人カップルと
旅行情報を何やら交換しているようでした。

「エッ、何故分かるの?」

人間観察も旅先で楽しむひとつにしているからです。



翌日の夕食では、ベルギー人家族のご主人が話しかけてきました。
日本人に彼は興味があるようで話は盛り上がりました。
離れた席の奥さんは不満顔で息子とデザートを食べていました。

色んな国の旅行者が集まるとは、さすが国際観光都市ですね。



ホイアンが世界遺産に登録されてからは日本政府もサポート。
建築の専門家を派遣したり技術・資金援助も行ってきました。
勿論、ここの人民委員会も景観の保存には力をいれ
条例を作り地域住民と一体となって活動をしていますがーーーーー。

現実的には色々難しい問題もあるようです。

これはホイアンに限ったことではありません。

観光促進策をとると必ず付いてくる問題は、
”開発と保存”の関係です。

どこでバランスをとるか?

永遠のテーマでもありますね。

  *ホイアンでは、旧市街のお店の照明には白色の蛍光灯を使わないとか、
    商品を路上にまで並べないとか、細かい規則があります。
    でも、現実にはお店のスペースはテナント貸し。契約時点でどこまでそれらが
    伝えられているのかとなると疑問も残ります。

    私の友人は建築の専門知識を活かしその活動に関っていますが
    苦労も多いようです。

    ベトナムで活動するにはかなりの忍耐力も求められます。
    エールを送るなら、”ノンビリ・ガンバレ”かな。


    

  

2 件のコメント:

  1. 素敵な観光ガイドでした。さすがはプロですね。
     早くホイアンに行きたくなった。
    帰国はすぐですね。気をつけて帰ってきてください。

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  2. 一時帰国準備で日々慌ただしくしています。

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