NHK教育テレビで放送された枯葉剤に関する番組を見ました。
改めて感じる事が多くありました。
ベトナム戦争でアメリカ軍はホーチミン・ルートの破壊やベトコンの
活動を妨害する為大量の枯葉剤(エージェント・オレンジ)散布。
戦後、それに含まれていたダイオキシンによる人体や環境への
影響とそれらの被害が明らかになる。
ベトちゃんドクちゃん等の報道を通して枯葉剤被害者の問題は
知っていたが、枯葉剤散布に関わったアメリカ軍の兵隊や
取材をしていたジャーナリスト等にもその影響が及んでいた事は
知らなかった。
その為、アメリカ政府では集団訴訟に発展。最終的には
クリントン大統領の時に国が枯葉剤の影響を認めた形となり
認定被害者に補償をすることになった。その額は一人500ドル
程度の少額のものであった。
それ故、第2世代(被害者の子供)にまでは当然国は関与しない。
番組は、その第2世代の被害者がベトナムに行き、
ベトナム人の障害を持った子供たちがいる施設
「平和村」 を訪れ、そこの人々との交流する様子が描かれていた。
第2世代の彼女(37才のアメリカ人)は右足のひざは下から無く、
左手の指も第一関節から先が無いまま産まれてきた。
当然、その事で家庭も崩壊寸前にまで追い込まれた事等も
踏み込んでインタビューをしている。
そして、その彼女の父親(ベトナム従軍アメリカ兵)の言葉が
今でも心に残るーーーーー、
「子供まで戦争に連れて行った事に気がつかなかった。
ーーーーーーーー、知っていれば戦争には行かなかった」
ベトナムでの枯葉剤被害者の200万人とも400万人とも言われている。
それはアメリカとは比較にならない大きな数。
画面では頭部が異常に大きく、目の位置も通常と違う
ベトナム人の男の子が母に抱かれている様子が映し出される。
そばにいる二人の姉(12才と10才)は、まるでぬいぐるみと遊ぶように
愛しくその弟の身体を抱き寄せ“その頭”にホッペをすり寄せるのだ。
そして姉は明るい笑顔で言うのだ。
「くすぐると喜ぶんだよ」
画面を見続けるのが辛くなった。
2年間のサイゴンでの生活。
枯葉剤被害者への慈善活動には一度も参加しませんでした。
*知っている青年海外協力隊員は定期的にボランティアとして
週末に行っていました。
日系企業の代表で年に数回慰問している方も、知っています。
着任早々、事務所の若手スタッフが施設の慰問に行く機会がありました。
話しを聞くとかなり悲惨な様子。
弱腰となり「連れって行って!」とは言えませんでした。
*事務所のスタッフは共産党青年同盟のメンバー。
週末も時々、慰問活動を行っているようでした。
そして、慰問をする機会がないまま任期を終えてしまったのです。
今思えば“度胸を決めて”行けば良かったと、後悔をしています。