2011年2月22日火曜日

テラスでランチ

南に面した庭では冬でも日差しがあればセーター姿で問題なし。

   夏の方が良いのではと思う方もいるでしょうが
   実は日差しが強すぎ耐えられません。
   むしろ冬の陽だまりの方が、数段快適なのです。


ですのでランチをテラスでと、なるのです。
メニューもその日の気分でーーーー。




洋食愛好家としは、どうしてもイタリア系料理が多くなってしまいます。




でも無性に日本食、それも弁当が食べたくなる時もあるのです。
願わくばその弁当箱も中学・高校時代に愛用したアルミ製で。
しかし、庭先で食べるだけでそれを買うのは不経済。

結果、代用品は“タッパ”となってしまいます。





チリ産の塩鮭(95円)、卵一個使用、チクワ、海苔の下にはオカカが。
ご飯も入れて製造原価は、200円位?

最近は似たような鮭弁当が290円で売っていますね。
手間賃考えたら買った方が安いのかもーーーーー?


でも、“手造りに勝るものはなし”ですよね。

2011年2月20日日曜日

また、やられた!


 「わかっちゃーいるけど、止められぬ!」
これって 植木等のスーダラ節の歌詞でしたよね。

我家の駄犬、小太郎がやってくれました。

 昨日、散歩から戻るとリビングのテーブルの下に“水たまり”が?

「アレッ、オシッコ? 」
でも“水たまり”のそばに割れた湯飲み茶碗が。

目をテーブルの上に移すと倒れた土瓶と薄茶に変色した
白のテーブルクロスが目に入りーーーー、

  「やられた!」




さらにテーブルの先の床を覗き込むと
電子レンジの上に置いていた薬箱が落とされ
床には錠剤や飲み薬のパックが散乱。

電子レンジの扉も開けられている。

  *何故電子レンジに手(足?)をかけたのか。
   これに関しては、前回(2月18日)のブログを見てください

  火曜サスペンスの刑事張りに現場検証は続くーーーーー。



円形の空になったプラスチックケースが床に転がっている。

      「この中は何があったけ?」
「そうだ、文明堂のカリントウだ!」




てな訳で、とんだ事をまたまたやってくれました。



ペナルティーボックス入りです。


これ反省している顔でしょうかね。


悪い事をしたとは分かっているようです。

私が戻った時も、いつもほどの歓迎の態度は見せず
やや距離を置いて立ち、異常に気がつき「何だ、コレ!」と
発した声を聞くと同時に、シッポをおしりに巻き込むようにして
自らハウスに入り込んでいきました。



発覚してから20分経過。
後始末を終え、ソファーでひと休み。


隣には何事もなかったように小太郎が身を寄せてくるのです。

気がつけばこの態度ーーーー。
 
       


ぬくもりを感じれば怒りも失せて
「可愛い」と思ってしまうんです。

この態度って甘すぎますよね。

でも愛犬家の方ならこの気持ち
分かち合えますよね。

2011年2月18日金曜日

食いしん坊!

度々ブログに登場する”駄犬の小太郎”(15才)

今日はボクのいたずら履歴を紹介。


1)丹波の黒豆事件
    おせち料理として毎年丹波の黒豆を我家では煮るのです。
    何時間も煮込み砂糖をタップリと加え、さらに煮含ませ
   そして鍋にいれたまま一晩寝かせるですがーー。

それを家族の留守にガス台から引きずり落とし食べる事を計画。
結果は鍋をひっくり返してしまい、台所の床は煮汁と黒豆でベトベト。

舐めまわすように床に散らばった黒豆を食べていたので
口の周りや胸までも黒い煮汁でベッタリ、ベトベト。


2)スイスのチョコレート事件
お土産に頂いた箱入りスイス・チョコ―レート。
オクサマはボクのワルサからの防御策として
電子レンジの中にそれを隠して、外出。

その様子を見ていたボクは、電子レンジごと台から引きずり落とし
、前足の指先を使って扉を開け、チョコレをゲット!
ちょっと銀紙を剥くのが面倒でしたが。

その夜はチョコの食べすぎで、何度もゲボ・ゲボ・ゲボーーー。
そして、脳神経が刺激を受けたのか寝れませんでした。

3) 冷凍カレー事件
冷蔵庫下段の冷凍庫。
何とか指先を使ってその開け方を習得。

中にある自家製冷凍カレーを引っ張りだしてーーー、
最初はまるで氷をかじっているようでしたが、
食べているうちにカレー風味が口の中で拡がり
美味、美味。

問題は、その後何日も口の周りにカレー風味が残った事。

これらはイタズラのほんの一例。

勿論、見つかった後は脳天チョップがーーー。
でも、家族が外出し家に一人となるとムラムラと
イタズラ心が躍動し始めるのです。

扉が開き、見つかるまでの数秒間のドキドキ。
これってクセになりますね。


皆さんも子供の頃
似た経験あるんじゃないですか?




2011年2月13日日曜日

これも八百長?

2月は大学入試の真っ最中

最近新聞でカンニングという文字を見た記憶がありません。
その手の輩がいなくなったんでしょうか?
それともIT革命で手口も先鋭化し、見つかり難いのでしょうか?


昨年まで住んでいたベトナムのカンニング事情ですが
聞いた話ですがかなり“お盛ん”のようです。

日本人の日本語教師から聞いた話によればーーーー、


1. 答案用紙の採点をしていると似た回答用紙が続く事は
  何度も経験。ここからもカンニングが日常化していると言える。
(中学・高校で教えている日本人教師の弁)

2.生徒が試験中に監督役の先生にテスト用紙を見せ答えを聞く。
  先生もそれに“親切”に答えている。
(民間の日本語学校で教えていた人の弁。これって許されるの?)

3.その日本人の日本語教師は、教室の一番後ろで
  ベトナム人日本語教師の監督官を、監視していたとの事。
 
*こうなると落語の世界になってきますね。(笑)

4.ですので、ベトナム人の日本語教師のなかには
  カンニング人生で学生を終えた人もいるので
  そんな人(先生)は日本語が思うように話せないとの事。



楽しい国ですね。


ところで、新聞を騒がしている相撲界の八百長とベトナムのカンニング
共通点が見えるような気がするのです。
 
 ベトナムでのカンニングは多くの人がやっているため
 罪の意識が薄いようです。
 きっと相撲界も同じなんでしょうね。
 
 
誰かが言っていましたね、こんなことーーー、
 
 「赤信号、皆で渡れば怖くない」
 
 
  







2011年2月8日火曜日

枯葉剤

NHK教育テレビで放送された枯葉剤に関する番組を見ました。
改めて感じる事が多くありました。

ベトナム戦争でアメリカ軍はホーチミン・ルートの破壊やベトコンの
活動を妨害する為大量の枯葉剤(エージェント・オレンジ)散布。
戦後、それに含まれていたダイオキシンによる人体や環境への
影響とそれらの被害が明らかになる。

ベトちゃんドクちゃん等の報道を通して枯葉剤被害者の問題は
知っていたが、枯葉剤散布に関わったアメリカ軍の兵隊や
取材をしていたジャーナリスト等にもその影響が及んでいた事は
知らなかった。
その為、アメリカ政府では集団訴訟に発展。最終的には
クリントン大統領の時に国が枯葉剤の影響を認めた形となり
認定被害者に補償をすることになった。その額は一人500ドル
程度の少額のものであった。

それ故、第2世代(被害者の子供)にまでは当然国は関与しない。

番組は、その第2世代の被害者がベトナムに行き、
ベトナム人の障害を持った子供たちがいる施設
「平和村」 を訪れ、そこの人々との交流する様子が描かれていた。
第2世代の彼女(37才のアメリカ人)は右足のひざは下から無く、
左手の指も第一関節から先が無いまま産まれてきた。
当然、その事で家庭も崩壊寸前にまで追い込まれた事等も
踏み込んでインタビューをしている。

そして、その彼女の父親(ベトナム従軍アメリカ兵)の言葉が
今でも心に残るーーーーー、

「子供まで戦争に連れて行った事に気がつかなかった。
   ーーーーーーーー、知っていれば戦争には行かなかった」 



ベトナムでの枯葉剤被害者の200万人とも400万人とも言われている。
それはアメリカとは比較にならない大きな数。

画面では頭部が異常に大きく、目の位置も通常と違う
ベトナム人の男の子が母に抱かれている様子が映し出される。
そばにいる二人の姉(12才と10才)は、まるでぬいぐるみと遊ぶように
愛しくその弟の身体を抱き寄せ“その頭”にホッペをすり寄せるのだ。
そして姉は明るい笑顔で言うのだ。

「くすぐると喜ぶんだよ」

画面を見続けるのが辛くなった。





2年間のサイゴンでの生活。
枯葉剤被害者への慈善活動には一度も参加しませんでした。

    *知っている青年海外協力隊員は定期的にボランティアとして
     週末に行っていました。
     日系企業の代表で年に数回慰問している方も、知っています。

着任早々、事務所の若手スタッフが施設の慰問に行く機会がありました。
話しを聞くとかなり悲惨な様子。
弱腰となり「連れって行って!」とは言えませんでした。

*事務所のスタッフは共産党青年同盟のメンバー。
     週末も時々、慰問活動を行っているようでした。


そして、慰問をする機会がないまま任期を終えてしまったのです。
今思えば“度胸を決めて”行けば良かったと、後悔をしています。

2011年2月6日日曜日

ラーメン屋(無敵家)


午後3時。まだ長蛇の列は続いています。
南池袋1丁目交差点の角にあるラーメン屋(無敵家)。

5-6年前,テレビでラーメン屋紹介番組が流行っていた頃
必ずランキング上位に入っている店でした。

開店したのは10年程前。当時は普通のラーメン屋。
ある時を境に人が並び始めたような気がします。

私の仕事場はその交差点を渡った所。

昼飯時に30分以上も並ぶのはーーーー、
と言って時間をずらして2時過ぎに並んでいては
外出する社員と会ってしまうしーーーーー、
夜の9時過ぎ、遅くなったので食べて帰ろうと思っても
まだ並んでいました。

私にとっては、近くて遠いラーメン屋でした。


先日、以前いた会社を訪ねる機会に見ると
ーーーーーー、やはり店に沿って並んでいたのです。
信号待ちの間、彼らを注意深く“観察”していると
アジア系の言葉が耳に入って来ました。

きっと、台湾か韓国それとも中国の旅行ガイドブックや
雑誌のグルメ記事で紹介されているのかもしれません。
国をあげての外国人観光客誘致作戦の恩恵を
ラーメン屋さん受けているんですね。




ラーメンの発祥は中国。
でも、日本のラーメンは明らかに日本文化の下で進化した
食文化のひとつですね。

イタリアのピザの如く、Sushi(寿司)が世界に拡がって行きました。
ラーメンもグローバルな日本料理の仲間入り。
すでに世界各地で日本式ラーメン屋はオープンしていますからね。

  *サイゴンにもラーメン専門店が数軒あります。
   料理人が日本人なら問題なし。
   ベトナム人に作らせていると、熱々のスープでなかったり
   “何かが” 違う感じがしてしまいます。

“日本一ラーメン”と名乗っていたところもオーナーが
   日本人から韓国人(料理人はベトナム人)になって一年。
   店を閉めてしまいました。




たかがラーメン、されどラーメン。
ガンバレ、ニッポン!

2011年2月4日金曜日

人生ゲーム



知人が主催するマーケティング勉強会で、
現代学生気質を聞く機会がありました。
スピーカーは4月から総合商社に勤務するS君。

プレゼン能力も高く、聴き手に“伝わる”話し方でした。

同席した会社経営者の女性は
「こんなしっかりとした考えを持った人(学生)がいて安心」
と言っていました。

リーダーシップも感じるS君の話しには
参考になることも多くーーー、

ー、ニート・フリーターという言葉が、彼らの居場所を作っている。
逆に社会から認知されたと思い抜け出す努力をしなくなっている。

ー、日本が真の国際化を目指していくならば
「敵は日本にあらず」の精神でなければならない。

ー、途上国の学生は国際会議でも自分の立場を主張。
時には相手を蹴落としても、モノを手に入れようとする気持ちを持っている。

ー、就活は学生の持っている特有のブランド感で行っている。
俗に言う偏差値の高い企業(年収・有名・カッコ良い企業)
を目指す傾向がある。

等々ーーー。


若い人の“生の声”には元気を授かりますよね。




ならば将来の日本を背負うであろうもっと若い人の意見をと
6才と1才になる孫の“生の声”を聞きに、翌日娘の家へ。

就活とも連動する『人生ゲーム』を孫と一緒にプレイ。

爺/婆共、ゴール直前で24万ドルの支払い命令を受け破産状態。
結果は、孫の逆転勝利。


「老兵は消え去るのみ」
ーーーーーなんでしょうね。(苦笑)

2011年2月3日木曜日

名刺(アドレスカード)


ノンビリと日向ぼっこをする小太郎(愛犬15才).


こんな感じの退職後の生活を夢見ていたのですがーーーー、

どうも“人との交流”が好きなようで外出が多く
日向でノンビリも思うように出来ていません。
退職後も新たな人とのネットワークは拡がっています。
そんな訳で、都度ノートの切れ端に連絡先を書いて
手渡すのも面倒とアドレス・カード(名刺)を作った次第です。


先日もベトナムに住んでいた人の集いに参加。
とは言っても8名中2名しか面識はありません。

全員を知っている幹事役の方が順に紹介をーーーー、

3人目に紹介された方も定年退職組。
名刺が無いと断りながら私の名刺に一瞥。
親しげな笑みを浮かべて

「私はホヤにいました」(ホヤとは保谷?)ーーーー、
ーーーー 「近いですね、私は朝霞ですから」

と言いそうになって「アッ!」。
言葉を飲み込んだのです。

「ホヤ」とは住んでいるところでなく、
働いていた会社名(HOYA)だったのです。(大笑)

 注釈:東京の西に保谷市(現在西東京)があります。
    埼玉西部に位置する朝霞市から車で30分程の所。
    そして彼がいた会社がHOYA(保谷硝子)だったのです。
    

名刺があれば誤解(この場合は早とちり)は防げたはず。
しかし、定年組の無職派では名刺を持たない人が大半でしょう。
と言って作った名刺の裏に昔の肩書きを書いたら、ヒンシュク者。
(でもいたりしてーーー?)


=昨日の会合で=

マーケティング・スタディーの会に3年振りに参加。
何人かの知人とも改めて名刺交換をしましたが
皆、会社名が変わっていました。

背後で挨拶している二人の会話はーーー、
「会社は?」
「 まだ同じ。今のところは大丈夫」
ーーー、でした


これも世相を反映しているんでしょうね。