11月22日、26日そして12月3日と続いて友がサイゴンに訪れました。
サイゴンの空の玄関口はタンソン・ニャト国際空港です。
夜の10時過ぎはアメリカ方面からの飛行機も到着するピーク時となり
ターミナルの出口は出迎えの人で大混雑でした。
*”ベッキョウ”と呼ばれる外国に移住したベトナム人が沢山のお土産を
持って家族・親戚のところに帰ってくるので出迎えの人も多くなり
まるでラッシュアワーのような賑わいです。
そんな中にPart-3に登場する友が到着したのです。
彼は日本では作務衣の愛用者。
ところが、その井出たちでベトナムの地に足を踏み入れたのです。
さらに首にはマフラー、頭には毛糸で編んだ小ぶりのスキー帽。
本人いわく「今朝、マイナス1度だったぞ、飛騨では。」
30度を超えるところで生活しているものにとって、その服装は想定外。
唖然として、シャッター・チャンスを逃してしまいました。(残念!)
その友は福祉関係の活動をしており、Part2で紹介した友はオヤジが医者。
翌日は彼らの希望でベトナムで最大の総合病院、チョーライ病院を訪問。
作業療法士の知人がそこで活動しており、彼女の案内で病棟見学と
なりました。
話には聞いていましたが想像を超えるものでした。
*1900年に設立。南ベトナム時代から日本が援助してきた病院です。
今も、人も金も技術も日本を中心に援助に支えられ運営されているところです。
*説明によれば1700のベッド数に患者が2500人。
そうなんです、日本では考えれない状況です。
本来なら写真で見せたいのですが、病室の前の廊下にもベットが並び
傍には家族が付き添い介護するのです。
また、待合室の前の廊下で寝ている患者さんも見受けられました。
とてもシャッターを押す気持ちにはなれませんでした。
上の写真は建物に入り受付を通るとすぐにある休憩場所です。
夜になれば、家族は簡易式の蚊帳を張りここに寝泊まりする人も
多数いるのだそうです。
ベトナムの医療事情を見て考えさせられました。
悲惨な感じもしましたが、まだここに来れる人は恵まれた人なのかもしれません。
=Part2の友=
我が物顔で滞在していたオーストラリアからの友も帰国する日が来ました。
忙しそうにパッキング。
靴下やズボンの置き方をみると
性格は几帳面なところもあるのかもしれませんね。
2週間以上に渡った3組の友達の世話も無事に終わりました。
疲れたけど、やはり嬉しさの方が数倍も大きいですね。
学生時代からの友は良いものです。
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